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ピラミッド作ったのは奴隷だと言うのは、嘘だった?
ピラミッド作ったのは奴隷だと言うのは、嘘だった? 小学校だったか、中学校だったか忘れましたが ピラミッドを作ったのは、奴隷だと教わりました。 過酷な重労働を強いられたと。 ...
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坂本龍馬年表・年譜【龍馬伝・坂本龍馬関係】
西暦 元号 年齢 月日 できごと 1835 天保6 1 11/15 坂本龍馬、土佐郷士坂本長兵衛(のち八平)の次男として...
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大谷茂次郎(おおたにしげじろう・中平良夫)【龍馬伝・坂本龍馬関...
土佐にある大谷塾の先生。 坂本龍馬が父・八平に連れられて入塾しますが、しばらくして龍馬を見放します。 確証はありませんが、実在した楠山庄輔を龍馬伝の中では大谷茂次郎と名前...
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黒船艦隊(ペリー提督)来航のころの徳川幕府首脳陣(老中)と考え...
・阿部正弘・あべまさひろ(老中首座・備後福山藩主) ●攘夷派 ・久世広周・くぜひろちか(老中・下総関宿藩主) ●開国派 ・松平忠優・まつだいらただます(老中・信濃上田藩主) ・...
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阿部正弘(あべまさひろ・升毅)【龍馬伝・坂本龍馬関係】
生没年月日 文政2年(1819)10月16日~安政4年(1857)6月17日 諱(実名) 正弘 字 叔道 通称 正...
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坂本龍馬、黒船来航に伴い海岸警備のため品川に動員される(ペリー...
嘉永6年(1853)6月3日にペリー提督率いる4艦の黒船が浦賀に来航したあと、幕府は海岸警備のため、芝と品川に邸宅を有する諸藩に動員を命じました。 当時、江戸にあった坂本龍馬にも動員令...
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坂本龍馬、幡多郡(はたぐん)で土木工事の監督をつとめる(久万川...
《解説》 嘉永3年(1850)、坂本龍馬が数え年で16歳のときのことです。 剣術との出会いによって、心身ともにたくましく成長した坂本龍馬は、早くも卓越した指導力の片鱗をうかがわせるよ...
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岡本寧浦(おかもとねいほ・ベンガル)【龍馬伝・坂本龍馬関係】
土佐で名高い儒学者。 岩崎弥太郎の師。 藩主・山内家の信頼も厚く、城で講義もしています。 岩崎弥太郎を塾の塾頭にします。 岩崎弥太郎の親戚筋にあたります。 大河...
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岩崎美和(いわさきみわ・倍賞美津子)【龍馬伝・坂本龍馬関係】
文化11年(1814)~明治33年(1900)。 土佐藩地下浪人・岩崎弥次郎の妻。 三菱財閥の創始者岩崎弥太郎、岩崎弥之助の母。 天保2年(1831)、岩崎弥次郎に嫁し、2男2女をもうけ...
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乙女お姉さんが坂本龍馬の養育を買ってでる(坂本龍馬の幼少期・少...
子供のころはノロマだった坂本龍馬。 わるいことに、いちばん下のお姉さんの坂本乙女が龍馬とは正反対の女丈夫だったから、龍馬の緩慢はきわだってしまいました。 坂本乙女は身長170...
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土佐藩とは(上士・じょうしと下士・かし)【龍馬伝・坂本龍馬関係...
土佐藩は山内(やまうち)家によって治められています。 慶長5年(1600)、それまで土佐を治めていた長宗我部家は、関ヶ原の合戦で敗れた西軍についたために改易されてしまいました。 ...
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塾の楠山庄輔(くすやま)先生に龍馬退塾させられる(坂本龍馬の幼...
坂本龍馬は12歳のときに楠山(くすやま)という私塾に通い始めましたが、やる気があるのかないのか、授業をしているのか、いないのか、まったくはっきりしません。 イライラの頂点に達した...
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プロローグ_龍馬伝(作:福田靖 ノベライズ:青木邦子)あらすじ
三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎。 明治15年(1882)、東京の岩崎邸で華やかなパーティーが開かれています。 この時の岩崎弥太郎は郵便汽船三菱の社長です。 その弥太郎が壇上に登...
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坂崎紫瀾(さかざきしらん・浜田学)・坂崎斌(さかざきさかん・さ...
明治16年(1883)1月24日~9月27日に、土陽新聞に連載される最初の坂本龍馬の伝記小説『汗血千里駒』の作者です。 嘉永6年(1853)~大正2年(1913)。 明治期のジャーナリスト、自由...
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岩崎弥次郎(いわさきやじろう・蟹江敬三)【龍馬伝・坂本龍馬関係...
文化5年(1808年)~明治6年(1873年)。 三菱財閥創始者・岩崎弥太郎の父。 高勝。 土佐の地下浪人。 安政2年(1855)、庄屋とトラブルとなり瀕死の重傷を負います。 父...
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坂本龍馬誕生の伝説(坂本龍馬の生まれ)【龍馬伝・坂本龍馬関係】
遠祖・太郎五郎(たろうごろう)がはるかなる南海の国土佐へ下ってより270有余年。 天保6年(1835)に坂本龍馬はこの世へあらわれました。 そして天保6年よりさかのぼること270有余年...
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坂本龍馬誕生(坂本龍馬の生まれ)【龍馬伝・坂本龍馬関係】
天保6年(1835)、坂本龍馬はこの世へあらわれました。 土佐藩屈指の豪商才谷屋の分家の次男として、高知城下本丁筋1丁目に生まれます。 その坂本龍馬の生誕日はいつだったか。妻・お...
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坂本龍馬関係目次【龍馬伝・坂本龍馬関係】
======坂本龍馬の生涯====== ☆☆☆ 龍馬の生まれ ☆☆☆ ★ 坂本龍馬誕生 ★ 坂本龍馬誕生の伝説 ★ 才谷屋 ☆☆☆ 龍馬の少年時代 ☆☆☆ ...
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那須信吾(なすしんご・天野義久)・那須真吾【龍馬伝・坂本龍馬関...
生没年月日 文政10年(1827)or文政12年(1829)~文久3年(1863)9月24日 諱(実名) 重民 通称 幼名虎吉、信吾(真吾)...
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沢村惣之丞・沢村総之丞(さわむらそうのじょう・要潤)【龍馬伝・...
生没年月日 天保14年(1843)or弘化元年(1844)~明治元年(1868)1月15日 諱(実名) 延世 通称 惣之丞 ...
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望月亀弥太(もちづきかめやた・音尾琢真)【龍馬伝・坂本龍馬関係...
生没年月日 天保9年(1838)~元治元年(1864)6月5日 諱(実名) 義澄 通称 亀弥太 変名 松尾甲...
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溝淵広之丞・溝渕広之丞(みぞぶちひろのじょう・ピエール瀧)【龍...
文政11年(1828)2月9日~明治42年(1909)7月4日。 義直。 土佐国土佐郡江ノ口村の出身。 土佐藩士?。 嘉永5年(1852)に江戸に出、佐久間象山に入門して西洋砲術を学びまし...
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岡田以蔵(おかだいぞう・佐藤健)・人斬り以蔵(ひときりいぞう)...
生没年月日 天保9年(1838)~慶応元年(1865)閏?5月11日 諱(実名) 宜振(よしふる) 通称 以蔵 変...
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近藤長次郎(こんどうちょうじろう・大泉洋)・饅頭屋長次郎(まん...
生没年月日 天保9年(1838)3月7日~慶応2年(1866)1月14日or24日 諱(実名) 昶、昶次郎 字 子長、藤陰 ...
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才谷屋(さいたにや)・龍馬が生まれた坂本家の本家【龍馬伝・坂本...
坂本龍馬が生まれた坂本家の本家で、高知城下屈指の豪商でした。 長宗我部氏時代末期から土佐藩政前期の約80年間は長岡郡才谷村で農業に専念していましたが、寛文6年(1666)、八兵衛の...
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河田小龍(かわだしょうりょう・リリー・フランキー)【龍馬伝・坂...
生没年月日 文政7年(1824)10月25日~明治31年(1898)12月19日 字 子和・大巧・玉琳 通称 篤太郎、初め維鶴・聾 ...
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後藤象二郎(ごとうしょうじろう・青木崇高・あおき むねたか)【...
生没年月日 天保9年(1838)3月19日~明治30年(1897)8月4日 諱(実名) 元曄 通称 初め保弥太、象二郎、良輔 ...
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後藤象二郎(ごとうしょうじろう)と坂本龍馬、長崎清風亭(せいふ...
慶応3年(1867)1月中旬に長崎清風亭で後藤象二郎は坂本龍馬と出会い、意気投合して同慶応3年2月16日付けの三吉慎蔵宛ての手紙で「近頃の人物ニて候」と評されます。 後藤象二郎も坂本龍馬...
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吉田東洋(よしだとうよう・田中泯)【龍馬伝・坂本龍馬関係】
生没年月日 文化13年(1816)~文久2年(1862)4月8日 諱(実名) 正秋 字 子悦 通称 郁助・官兵...
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山内容堂(やまうちようどう・やまのうちようどう・近藤正臣)山内...
15代の土佐藩主。 幕末四賢侯のひとり。 吉田東洋を参政に起用して藩政改革、人材登用、洋式造船技術を導入しました。 安政5年(1858)、将軍継嗣問題で越前の松平慶永(春嶽)、薩...
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楢崎龍(ならさきりょう・真木よう子・まきようこ)・坂本龍(さか...
生没年月日 天保12年6月6日(1841年7月23日)~明治39年(1906)11月15日 通称 お龍 生まれ 京都柳馬場三条下ル ...
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千葉定吉(ちばさだきち・里見浩太朗)【龍馬伝・坂本龍馬関係】
生年月日不詳~明治12年(1879)12月5日。 名は成胤。政道。 陸前国栗原郡荒谷村の出身。 剣士。 獣医の3男。 千葉周作の弟。 千葉重太郎は長男。 坂本龍馬と婚約した...
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千葉佐那(ちばさな・貫地谷しほり)・坂本龍馬の婚約者(千葉の鬼...
天保9年(1838)~明治29年(1896)10月15日。 千葉周作の弟・千葉定吉の長女or次女。 千葉重太郎の妹。 14歳の時北辰一刀流免許皆伝となります。 千葉道場に入門した坂本龍馬...
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千葉重太郎(ちばじゅうたろう・渡辺いっけい)【龍馬伝・坂本龍馬...
文政7年(1824)3月1日~明治18年(1885)5月7日。 一胤。 武蔵国江戸杉之森の出身。 剣士。 千葉定吉の長男。 坂本龍馬の婚約者・千葉佐那の兄。 父・千葉定吉の開い...
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武市半平太(たけちはんぺいた・大森南朋・桑代貴明)・武市瑞山(...
生没年月日 文政12年(1829)9月27日~慶応元年(1865)閏5月11日 諱(実名) 小楯 通称 初め鹿衛、半平太 ...
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武市富(たけちとみ・奥貫薫)・武市富子(たけちとみこ)、武市半平...
天保元年(1830)~大正6年(1917)4月23日。 武市半平太(武市瑞山)の妻。 高知城下新町田淵に生まれます。 年少にして武市半平太(武市瑞山)に嫁し、志士剣客の出入りに応酬...
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岩崎弥之助(いわさきやのすけ・須田直樹)【龍馬伝・坂本龍馬関係...
嘉永4年(1851)1月~明治41年(1908)3月25日。 明治時代の実業家。 日本郵船会社の創立者。 嘉永4年(1851)1月、岩崎弥次郎の次男として土佐国安芸郡井口村に生まれます。 ...
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坂本春猪(さかもとはるい・前田敦子・まえだあつこ・AKB48・松元...
天保14年(1843)12月14日~没年月日不詳。 土佐藩郷士・坂本権平の娘。 母は河原塚氏。千野。 河原塚茂太郎の姪。 坂本龍馬とも叔父と姪の間柄でしたが、年が8つしか違わない...
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坂本八平直足(さかもとはちへいなおたり・さかもとやへい・児玉清...
寛政8年(1796)~安政2年(1855)12月4日。 土佐藩郷士御用人。 初名常八郎、坂本長兵衛、八平、諱は直足(なおたり)。 土佐郡潮江村の郷士(士格、留守居組とも)山本覚右衛門...
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坂本幸(さかもとさち・草刈民代)【龍馬伝・坂本龍馬関係】
寛政8年(1796)~弘化3年(1846)6月10日。 土佐藩郷士坂本八蔵直澄の一人娘。 母は井上氏。 山本覚右衛門の次男・八平直足を養子に迎え、坂本龍馬ら2男3女をもうけます。 ...
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坂本乙女(さかもとおとめ・寺島しのぶ・土屋太鳳)【龍馬伝・坂本...
天保3年(1832)1月1日~明治12年(1879)8月31日。 土佐藩郷士・坂本八平直足と幸の3女。 坂本龍馬より3歳年長の姉。 体躯巨大で身長5尺8寸、体重30貫に近く「坂本のお仁王様」...
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坂本権平(さかもとごんぺい・杉本哲太)【龍馬伝・坂本龍馬関係】
文化11年(1814)~明治4年(1871)7月8日。 土佐藩郷士。 大蔵、左吉とも名乗ります。 諱は直方。 坂本八平直足の長男。 坂本龍馬の兄。21歳違い。 妻は徒士河原塚茂...
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坂本千野(さかもとちの・島崎和歌子)【龍馬伝・坂本龍馬関係】
坂本龍馬の兄・坂本権平の妻。 河原塚茂太郎の姉。 南奉公人町河原塚家から嫁入りしました。 長男・富太郎、長女・春猪を生みます。 大河ドラマ『龍馬伝』登場人物一覧・坂本龍馬...
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平井収二郎(ひらいしゅうじろう・宮迫博之)平井加尾(ひらいかお...
生没年月日 天保6年(1835)~文久3年(1863)6月8日 諱(実名) 義比、志敏 通称 初め幾馬・徳助、収二郎 ...
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坂本伊與・坂本伊与(さかもといよ・松原智恵子)坂本龍馬の継母、...
文化元年(1804)~慶応元年(1865)10月21日。 坂本龍馬の父・坂本八平の後妻。 父は高知城下、小高坂(西町)二人扶持、切米7石、お蔵役、御用人、北代平助重治。 母は土佐郡...
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島村衛吉(しまむらえきち・山﨑雄介)【龍馬伝・坂本龍馬関係】
生没年月日 天保5年(1834)10月~慶応元年(1865)3月23日 諱(実名) 重険 通称 初め八次郎、衛吉 生...
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望月清平(もちづきせいへい・本田大輔・松田佳祐)【龍馬伝・坂本...
生没年月日不詳。 弥塩。 土佐藩士。 土佐国土佐郡小高坂村出身。 弟の望月亀弥太とともに勤王活動に邁進します。 文久元年(1861)、国許で土佐勤王党に加盟しました。...
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川原塚茂太郎(かわらづかしげたろう・原田裕章)【龍馬伝・坂本龍...
天保元年(1830)9月1日~明治9年(1876)10月16日。 重幸。 土佐国高知城下南奉公人町徒士、川原塚堅作倅。 坂本龍馬の兄・坂本権平の妻・千野の弟です。 文久元年(1861)...
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市ヶ谷記念館と憂国忌と
11月25日、東京・市ヶ谷の防衛省にある市ヶ谷記念館を見学、その後、ついでと言っては何だが、憂国忌にも参列。
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坂本千鶴(さかもとちづる・大鳥れい)坂本龍馬の長姉(高松千鶴・...
文化14年(1817)~文久元年(1861)12月25日。 土佐藩郷士坂本八平と幸の長女。 坂本龍馬の長姉。龍馬より19歳年上。 高松太郎の母親。 安芸郡安田村の郷士高松順蔵に嫁し...
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直江兼続ゆかりの寺社と遺品(直江兼続の遺品)【天地人・直江兼続...
戦国大名の多くは信仰にも心を配り、自家の菩提寺や祈願所の寺社に寺社領を与えたり、制札を出して保護し、他方領内の宗教的な支配・統制を図りました。直江兼続の主家の上杉氏も同様に信仰に...
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「逢恋」-直江兼続が作った漢詩、七言絶句(直江兼続の遺品)【天...
逢恋 逢う恋 風花雪月不関情 邂逅相逢慰此生 私語今宵別無事 共修河誓又山盟 風花雪月情に関せ...
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禅林文庫(ぜんりんぶんこ)・直江兼続の蔵書(直江兼続の遺品)【...
市立米沢図書館(米沢市金池3丁目、置賜総合文化センター内)の蔵書『米沢善本』の中に、直江兼続が蒐集したといわれる貴重な書籍が数多く残されています。『米沢善本』とは米沢図書館所蔵の...
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「雪夜囲炉」-直江兼続が作った漢詩、七言絶句・短冊(直江兼続の...
雪夜囲炉 雪夜炉を囲む 雪夜囲炉情更長 吟遊相会古今忘 江南良策無求処 柴火煙中芋煨香 雪夜炉...
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藤井堰(ふじいせき)・新潟県柏崎市の藤井頭首工【直江兼続関係史...
新潟県柏崎市の鯖石川下流域に設置された堰。 文禄4年(1595)2月9日の直江兼続黒印状には「藤井堰掟」という表題と「此の旨相守り、彼の地急度開作致すべきもの也」とあり、新田開発のた...
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堀金堰(ほりがねせき)・米沢【直江兼続関係史跡・遺跡・碑・墓】
鬼面川(おものがわ・西川)の帯刀堰取水口より1キロ下流から堰上げし、堀金・桐原・一漆の3ヶ村を潤した堰で、直江兼続の指導で開削されたと伝えます。長さは12キロメートル。 「堀金堰掘...
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古文真宝後集抄・こぶんしんぽうこうしゅうしょう(直江兼続の遺品...
『古文真宝後集抄』21冊は、古文の真の宝というべき名文を集めた『古文真宝後集』の注釈本で、天正16年(1588)に直江兼続が京都で書写させたものです。この年、直江兼続は上杉景勝の2度目の...
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直江兼続所用の甲冑と衣装(直江兼続の遺品)【天地人・直江兼続関...
直江兼続所用と伝えられる甲冑は、米沢市内に数領と会津若松市に1領が残され、その1部が展示されています。このうち最も著名なのは、上杉神社の宝物館「稽照殿(けいしょうでん)」に展示され...
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直江兼続の最後・最期・死去・死因【天地人・直江兼続関係】
元和2年(1616)2月、徳川家康の病気見舞いのため、上杉景勝は駿府に向かいます。直江兼続は本多正純と相談して、段取りをつけています。 徳川家康は大いに喜び、徳川秀忠とともに上杉景勝...
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細川護煕 粉引ぐい呑
細川護煕 粉引ぐい呑付識箱 7×7×5
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『文選(もんぜん)』の出版-日本で最初の銅活字印刷(直江兼続の...
「米沢善本」の漢籍の1つに『文選(もんぜん)』60巻、31冊があり、これは直江兼続が京都の要法寺の活字で印刷させた、いわゆる『直江版文選』として著名な書籍です。この本の巻末に 「慶長...
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水原親憲(すいばらちかのり)・水原常陸介親憲(すいばらひたちの...
天文15年(1546)~元和2年(1616)5月22日。 常陸介(ひたちのすけ)。 大関(おおぜき)阿波守親信の子として越中で誕生、大関弥七と称します。 永禄4年(1561)の第4回川中島...
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大坂冬の陣の論功行賞、須田長義等褒賞を受ける。「御屋形様」と「...
年が明けて元和元年(1615)1月17日、直江兼続は将軍秀忠から岡山の営中へ呼ばれました。鴫野・今福における勲功を賞され、あらためて感状と太刀、小袖をおくられたのです。このとき同時に、...
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大坂冬の陣で褒賞を受けた水原親憲のエピソード(大坂の陣その16-2...
上杉景勝の家臣・水原常陸介親憲は70歳を越える老武者です。 大坂冬の陣の戦功で、感状等の褒賞を受け、徳川家康からも、 「謙信いらい、弓矢のぬくもりを持った男」 と誉められた将で...
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安田能元の大坂冬の陣における論功行賞のエピソード、『常山紀談』...
『常山紀談』によれば 「安田能元は鴫野戦で横槍を突き、城兵を破って味方を有利にした戦功は大であるが、兼続と不和だったから、手柄が幕閣に達せず、感状を下賜されなかった」 とされます...
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直江兼続の長男・直江景明の最後・最期・死去(多分死因は結核)【...
大坂冬の陣・夏の陣も終わって豊臣家が滅亡。 時代は慶長から元和と改元され、世に言う『元和偃武(げんなえんぶ)』、武器の要らない平和な世の中へと移り変わっていきます。 元和と...
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千姫(せんひめ・川島海荷)、豊臣秀頼の妻【直江兼続・天地人関係...
慶長2年(1597)4月11日~寛文6年(1666)2月6日。 父は徳川幕府2代将軍・徳川秀忠。 母は正室お江(おごう)。お江は淀殿(淀君)の末妹。 豊臣秀頼の妻。 慶長2年(1597)4...
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大坂冬の陣の和議が整う・成立(大坂の陣その15)【天地人・直江兼...
11月26日の戦闘のあと、和議交渉が進み、具体的な条件折衝が詰められます。大坂城で合戦継続を希望するのは牢人衆だけ。和議成立ともなれば、彼らは失業するからです。淀殿以下、厭戦気分が充...
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大坂夏の陣、大坂城炎上、豊臣秀頼・淀殿自殺・死亡(大坂の陣その1...
元和元年(1615)3月、大坂冬の陣の和議は破局しました。もともと徳川家康には講和の意志などありません。 東西和議後の同元和元年2月末、上杉景勝以下の上杉勢は米沢に帰国しますが、直江...
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大坂冬の陣、「上杉家の働きは第一の手柄」。上杉景勝、部下の活躍...
11月26日の上杉方の首帳から。 一 竹田兵庫首一 須田大炊介 一 首一 田子三介 一 的場三郎兵衛首一(与力) 真野次郎助 一 首一 北村茂助 一 首一 ...
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大坂冬の陣終盤戦、水原親憲・黒金孫左衛門の活躍(大坂の陣その12...
上杉景勝は鴫野口横堤の上で、床几にかけたまま、夜明けから夕方まで、ついに備えから動きませんでした。弾丸が飛んでくる中で平然と戦況を見つめていました。 その後陣には副将の直江兼続...
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大坂冬の陣、真田丸の攻防戦・真田幸村の活躍(大坂の陣その11)【...
大坂冬の陣で最も有名なのが、真田丸の攻防戦。当初、豊臣方は城外の柵で防衛しようとしたが、鴫野(しぎの)・今福(いまふく)の緒戦の結果、守備範囲の縮小論が浮上し、城内籠城策へと切り...
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大坂冬の陣、伝説の武将・上杉景勝(大坂の陣その10)【天地人・直...
大坂冬の陣中盤戦までの、鴫野(しぎの)での上杉勢の激戦が本営の徳川家康に報告されました。 家康は上杉勢の疲労を思い、使いを上杉景勝のもとへやり、 「味方は手負い死人も出て、疲れ...
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大坂冬の陣中盤戦、上杉鉄砲隊(大坂の陣その9)【天地人・直江兼...
鴫野口には午の刻(正午)に、城方から大野修理亮治長(おおのしゅりのすけはるなが)、渡辺内蔵介(わたなべくらのすけ)、竹田永翁(たけだえいおう)など1万2千の大軍が寄せてきました。上...
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大坂冬の陣序盤戦、鴫野口(しぎのぐち)の合戦、上杉勢の活躍(大...
幕府軍が大坂城を包囲したのは、11月18日。もう真冬です。 鴫野(しぎの・大阪市城東区)と今福(いまふく)は、大坂城の東北部に近接し、城から約2kmの大和川(現在の寝屋川)をはさんで...
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米沢の新権力者・直江兼続後室お船【天地人・直江兼続関係】
直江兼続の死後、剃髪したお船は江戸の鱗屋敷に居住し、引き続き、上杉家の奥向きを仕切りました。それどころか、 「兼続の死去後、国政を執事した」 と記録されるように、藩政にも参画した...
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上杉景勝の最後・最期・死去【天地人・直江兼続関係】
上杉景勝は直江兼続に恩寵を与え、執政にまで取り立てました。 しかし晩年に至り、後継者問題が絡むのでしょうか、直江兼続に係わる事件が起きたとき、上杉景勝は救おうとはしませんでした...
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岩崎弥太郎(いわさきやたろう・香川照之・渡邉甚平)【龍馬伝・坂...
天保5年(1834)12月11日~明治18年(1885)2月7日。 土佐藩郷士・三菱財閥創始者。 敏。好古。 土佐国安芸郡井ノ口村の出身。 地下浪人の低い身分でしたが、株を買って郷...
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京都方広寺の鐘銘問題「国家安康・君臣豊楽」(大坂の陣)【天地人...
徳川家康の豊臣つぶしの執念は変わらず、口実さがしにやっきになりました。 その絶好の口実となったのが、慶長19年(1614)7月の方広寺(京都市東山区)の鐘銘事件でした。 これは豊臣...
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阿虎(おとら)大国実頼の娘・直江兼続の養女・本多政重(直江勝吉...
生年月日不詳~寛永4年(1627)5月10日。 直江兼続の養女。 実は兼続の弟・大国実頼(おおくにさねより)の娘。 直江兼続の養子・直江大和守勝吉(かつよし・本多政重・ほんだま...
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上杉景勝軍・大坂冬の陣・鴫野口(しぎのぐち)布陣状況(大坂の陣...
慶長19年(1614)11月25日、上杉軍は鴫野へ出て、ここに布陣しました。 全軍の配置はつぎのごとくです。 ●先陣:須田大炊介長義 ●二陣:安田上総介能元 ●前備え:長尾権四郎 ●本...
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徳川家康大坂城攻撃の軍令を発令(大坂の陣その3)【天地人・直江...
徳川家康は、10月1日に軍事動員令を発します。その規模は約20万人といいます。大御所・徳川家康は駿府から、将軍・徳川秀忠は江戸から出馬します。 江戸城の留守居は松平忠輝(家康の6男)...
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徳川家康と徳川秀忠が関東基盤固めのため開いた茶会で、伊達政宗が...
慶長12年(1607)、徳川家康・秀忠父子は茶会を江戸城で開き、奥羽の国持大名である、上杉景勝・伊達政宗・佐竹義宣が相伴します。かつて仲直りした3人で、上杉征伐の当事者です。 席上、...
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大坂の陣開戦前に、片桐且元、織田信雄、畠山入庵義春(上条政繁)...
慶長19年(1614)10月10日、真田幸村大坂城入城。 その少し前に、大坂城内の和平派が城を抜けます。片桐且元、織田信雄らが有名ですが、畠山入庵義春もその1人。出奔後、秀吉・秀頼に仕え...
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片桐且元(かたぎりかつもと)【直江兼続・天地人関係】
弘治2年(1556)~元和元年(1615)。 近江国に生まれます。 幼少より豊臣秀吉に仕え、天正11年(1583)、賤ヶ岳の戦いで七本槍の1人として武名をあげます。 豊臣秀吉の死後、秀...
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徳川秀忠(とくがわひでただ・中川晃教)【直江兼続・天地人関係】
天正7年(1579)7月~寛永9年(1632)。 江戸幕府第2代将軍。 在職は慶長10年(1605)~元和9年(1623)。 天正7年(1579)7月、徳川家康の3男として遠江国浜松城で生まれます。...
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大野修理亮治長(おおのしゅりのすけはるなが)【直江兼続・天地人...
永禄10年(1567)or永禄12年(1569)~慶長20年(1615)。 従五位下修理亮。 生年・系譜などは不明な点が多いです。 母は淀君の乳母大蔵卿局(おおくらきょうのつぼね)。 通称...
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本多正純(ほんだまさずみ・蟹江一平)【直江兼続・天地人関係】
永禄8年(1565)~寛永14年(1637)。 徳川家康・秀忠の2代にわたって、のちの大老または老中に相当する役割を果たしました。 本多正信の長男。 本多政重(直江勝吉)の兄。 ...
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大坂冬の陣・大坂夏の陣と上杉景勝・直江兼続。年表【天地人・直江...
1.徳川家と豊臣家の関係 1-1.徳川家康と徳川秀忠が関東基盤固めのため開いた茶会で、伊達政宗が佐竹義宣を怒らす:慶長12年(1607) 1-2.徳川家康が駿府に移って大御所政治を始める。徳川...
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城崎案内人(中学生の課外研修)
10月23日に、中学生とまちを歩き、まちを知ってもらおうと課外研修が行われました。 私が地元中学生を相手に案内人を担当させてもらったのは、今年で3回目です。 いつも真剣なまなざしで...
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徳川家康が駿府に移って大御所政治を始める。徳川秀忠との二元政治...
慶長13年(1608)、徳川家康は駿府に移り、いわゆる大御所政治が始まります。江戸と駿府での二元政治も、一種の分割統治です。 ただし、東西分割ではなく、行政テリトリーを次のように区分...
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徳川家と豊臣家の関係(大坂の陣その1)【天地人・直江兼続関係】
徳川家康と徳川秀忠が関東基盤固めのため開いた茶会で、伊達政宗が佐竹義宣を怒らす 徳川家康が駿府に移って大御所政治を始める。徳川秀忠との二元政治 通説では「江戸幕府開設によって...
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真田幸村、大坂冬の陣を前に大坂城入城(大坂の陣その2)【天地人...
慶長5年(1600)の上杉征伐・関ヶ原の合戦後、真田昌幸・幸村父子は高野山・九度山に流されました。当初、本多正信の取りなしによって、昌幸は赦免の期待をかなり抱いていました。 長男・...
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平井加尾(ひらいかお・かほ・広末涼子・八木優希)坂本龍馬初恋の...
天保9年(1838)~明治42年(1909)。 かほ。 西土佐国土佐郡井口村出身。 平井直澄(伝八)の娘で、土佐勤王党の幹部的存在の平井収二郎(ひらいしゅうじろう)の妹。 兄・平...
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坂本龍馬から平井加尾(ひらいかお・かほ、西山加尾・にしやまかお...
先づ〃〃御無事とぞんじ上候。天下の時勢切迫致し候に付、 一、高マチ袴 一、ブツサキ羽織 一、宗十郎頭巾 外に細き大小一腰各々一ツ、御用意あり度存上候。 九月十三日...
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大国実頼(おおくにさねより)の出奔、追放?高野山へ?(米沢移封...
前ページ:直江兼続と本多正信の養子縁組を巡る奇妙な出来事 慶長14年(1609)9月、直江兼続は実弟・大国実頼の娘を養女とし、本多政重の後妻とします。名をお虎といいます。このころ、直...
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安田能元(やすだよしもと)【直江兼続・天地人関係】
弘治3年(1557)~元和8年(1622)6月。 安田顕元の弟。 安田氏は北条憲広の次男・憲朝を祖とし、安田城(新潟県柏崎市城の組)を本拠地としました。 天正6年(1578)の御館の...