みんなの投稿
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豊臣秀頼・お拾(とよとみひでより・おひろい・伊藤悠翔・小林海人...
文禄2年(1593)8月3日~慶長20年(1615)5月8日。 豊臣秀吉と側室淀殿との間に生まれた第2子。 長男の鶴松(棄or捨・すて)は、天正17年(1589)5月27日に生まれたが、天正19年(159...
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直江兼続と泉沢久秀、京都伏見城の堀普請を行う【天地人・直江兼続...
文禄2年(1593)閏9月、朝鮮出兵・文禄の役から上杉景勝は越後に帰国します。が、翌文禄3年(1594)早々、京都伏見城の堀普請を割り当てられました。東国大名衆は軍役の代わりに豊臣秀吉から...
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名護屋城・なごやじょう【直江兼続・天地人関連城郭等】
☆☆☆ 佐賀県唐津市玄海町 ☆☆☆ 天正19年(1591)に朝鮮出兵の本営として築かれました。 名護屋城の周辺には全国の大名の陣屋が配され、名護屋は一夜にして軍事都市となりました。 ...
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文禄三年定納員数目録、上杉家臣団の知行高・序列等【天地人・直江...
『文禄三年定納員数目録』は泉沢久秀が作成した、2000人に及ぶ上杉家臣団の知行目録です。 それによると、家臣団は大きく「越後侍中、信濃侍中、五十騎衆、地方在番衆」から構成されます。...
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朝鮮出兵その3_上杉景勝、熊川(ウンチャン)で倭城(わじょう)を...
文禄2年(1593)1月、陣中の上杉景勝も、連歌会を開催しました。望郷の念を偲ばせる句が残っています。 我国へ立ちかへるとしの霞かな 景勝 雪に鷹なくはるのとお山 兼続 ...
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朝鮮出兵その2_「旦那」直江兼続の実力・文禄の役【天地人・直江兼...
豊臣秀吉は、出兵の本営を肥前名護屋城(佐賀県唐津市)に置きます。当時の言葉では、高麗(こうらい)陣。文禄の役ともいいます。 ここから壱岐、対馬と島伝いに、輸送船団で朝鮮半島に渡...
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出羽庄内の上杉分国化【天地人・直江兼続関係】
天正18年(1590)8月の、奥州仕置と軸を一にして、豊臣秀吉は出羽庄内3郡の仕置を上杉景勝に命じます。ここでいう仕置とは、有名な検地や刀狩と思ってよく、秀吉側近の大谷吉継がサポートし、...
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朝鮮出兵その1_上杉景勝と前田利家の争い、九州への行程【天地人・...
文禄元年(1592)3月1日、上杉景勝は春日山城を出発し、前線基地の九州を目指します。総勢5,000人。直江兼続も従軍しています。 春日山城の留守は、藤田信吉(ふじたのぶよし)と安田能元...
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お梅(おうめ・並木瑠璃・直江兼続とお船の子・次女)【直江兼続・...
生没年月日不詳。 直江兼続とお船の方の次女とされますが、実在しなかったとする説もあります。したがって、名前、生年、正確な没年、墓所、その他のプロフィールもはっきりとしたことは分...
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木彫キリスト像
京都 古裂会 古美術骨董品オークション50回記念出品予定作品木彫キリスト像総高90 第50回入札オークション明治工芸 -西洋を歓喜させた日本工芸-神道美術 -倭人の祈り、その造形-丹州某家...
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豊臣秀吉の奥州征伐-東西統一・天下統一の実現【天地人・直江兼続...
天正19年(1591)6月、陸奥では葛西大崎一揆、九戸政実の叛乱が起こったため、奥州征伐が実行されます。当時の言葉では、奥州御陣。 今回豊臣秀吉は出陣せず、東山道を進む総大将には豊臣...
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小田原城・おだわらじょう【直江兼続・天地人関連城郭等】
☆☆☆ 小田原市城内 ☆☆☆ 後北条氏の居城。 天正18年(1590)、豊臣秀吉は関東平定を開始します。 上杉景勝・直江兼続は北国勢の一員として参戦し、信濃より上野に侵攻しました。...
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「律義者」徳川家康の関東移封 北条攻めのその後【天地人・直江兼...
小田原城に入城した豊臣秀吉は、論功行賞を行い、没収した北条分国を徳川家康に与えました。有力候補と目された上杉景勝ではなく-。 関東をいずれの東国取次役に与えるか、悩んだ末に出し...
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豊臣秀吉の北条征伐・小田原征伐【天地人・直江兼続関係】
天正18年(1590)の北条征伐。小田原征伐ともいいます。豊臣秀吉の勧告にもかかわらず、臣従しない北条氏政・北条氏直父子を公儀として成敗する。それが大義名分ですが、発端となったのは惣無...
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北条氏直(ほうじょううじなお・神木優)【直江兼続・天地人関係】
永禄5年(1562)~天正19年(1591)11月4日。 新九郎、左京大夫。 父は北条氏政。母は氏政の正室武田信玄の娘(黄梅院)。 北条氏5代目の当主。 天正8年(1580)8月、父北条氏...
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北条氏邦(ほうじょううじくに)【直江兼続・天地人関係】
生年月日不詳~慶長2年(1597)8月8日。 新太郎、安房守。 父は北条氏康で4男。母は今川氏親の女(瑞渓院)。 天文10年(1541)から天文12年(1543)の生まれといいます。 北条氏...
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北条氏照(ほうじょううじてる)【直江兼続・天地人関係】
生年月日不詳~天正18年(1590)7月11日。 源三、陸奥守。 父は北条氏康で3男。母は今川氏親の女(瑞渓院)。 天文9年(1540)から天文11年(1542)の生まれといいます。 北条氏4...
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大道寺政繁(だいどうじまさしげ・ささきいさお)【直江兼続・天地...
天文2年(1533)~天正18年(1590)8月18日。 後北条氏の家臣。 父は大道寺重興or大道寺資親。 妻は遠山綱景の娘。 河越城代→小諸城主→松井田城主。 天正18年(1590)、豊...
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新たな可能性を予感させる形
自転車は、ほとんどが2輪です。
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本間高統(ほんまたかつな・ほんまたかとう・春田純一)【直江兼続...
生年月日不詳~天正17年(1589)。 河原田(かわはらだ)の佐渡守高統は、戦国末期に佐渡が北佐渡連合と南佐渡連合に二分された時期に北佐渡連合の盟主として活躍しました。 知行は1600...
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五郎八姫(いろはひめ・伊達政宗の子・娘)【直江兼続・天地人関係...
文禄3年(1594)6月16日~寛文元年(1661)5月8日。 米沢城(山形県米沢市)主伊達政宗の長女。 母は政宗の正室愛姫。 政宗28歳、愛姫27歳のとき。 慶長4年(1599)、徳川家康...
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愛姫(めごひめ・杏・あん)【直江兼続・天地人関係】
永禄11年(1568)~承応2年(1653)2月21日 三春城主田村清顕の一人娘。 伊達政宗の正室。 母は相馬顕胤の娘・於北。 院号は陽徳院。 天正7年(1579年)伊達政宗と結婚しま...
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小林よしのりから学ぶ事
俺らの世代は、『戦争論』というものを必ず通ってきたように思う。 その点はともかく、それ以上に、作者小林よしのりから学ぶ事は、 彼の姿勢になると自分は考えている。二点ある。 一つは、...
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本間高茂・本間対馬守高貞(ほんまたかもち・ほんまつしまのかみた...
生年月日不詳~天正17年(1589)。 羽茂(はもち)の対馬守高貞は、天正17年(1589)6月の上杉景勝佐渡攻めに対し、徹底抗戦を行った南佐渡連合の盟主です。 知行は1920石。 領地は...
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独眼竜・独眼龍伊達政宗(だてまさむね・松田龍平)【直江兼続・天...
「奥羽の猛将」独眼竜・独眼龍政宗 見参! 生没年月日 永禄10年(1567)~寛永13年(1636)5月24日 享年 70 幼名 梵...
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お栄(おえい・小沢真珠)【直江兼続・天地人関係】
小国家に養子に入った樋口与七(小国実頼・大国実頼)の妻。 小国重頼(おぐにしげより)の娘。 何かにつけて清和源氏の血を引く名門小国家の名を鼻にかけるため、夫婦仲はしっくりと...
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小国重頼・真将(おぐに しげより・牧村泉三郎)【直江兼続・天地...
生年月日不詳~慶長6年(1601年)5月1日(1601年6月1日) 小国頼久の子。 通称・刑部少輔、三河守。別称に頼村、実頼。 『上杉年譜』によると名は真将とあり、父の名は義真となって...
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直江景明(なおえかげあき・太賀)竹松(たけまつ・加藤清史郎・直...
文禄3年(1594) or 慶長3年(1598)~慶長20年(1615)7月12日。 直江兼続の嫡男として生まれます。 母は与板城(長岡市与板町与板)主直江景綱の娘お船の方。 幼名竹松、のち平八...
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「従五位下直江山城守兼続(じゅうごいげなおえやましろのかみかね...
新発田征伐後、豊臣秀吉は上杉景勝に再上洛を要請し、天正16年(1588)4月、景勝は直江兼続らを伴って京都へ上ります。謁見場所は、新築された聚楽第。 このとき、豊臣秀吉の斡旋で、上杉...
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淀君・茶々(よどぎみ・ちゃちゃ・深田恭子)【直江兼続・天地人関...
永禄10年(1567)?~慶長20年(1615)5月8日。 豊臣秀吉の側室。 生年については、永禄10年(1567)、永禄12年(1569)など諸説あります。 近江国(滋賀県)の戦国大名浅井長政(あ...
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新発田重家征伐の終結【天地人・直江兼続関係】
上杉景勝にとって、今や新発田重家(しばたしげいえ)は獅子身中の虫。天正14年(1586)8月の上洛後、上杉景勝は再び出陣するが、容易に新発田城は落ちません。 そこで秀吉は、9月に木村清...
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厳島神社参詣図屏風 六曲一隻
古裂会骨董品古美術品49回オークション出品作品特集 祇園祭 第三回屏風祭三回目の屏風祭が開催できますことに心より感謝申し上げます。 諸般の事情もあって下見会場こそ弊社の相国画廊に移し...
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酒井忠次(さかいただつぐ・飯島大介)【直江兼続・天地人関係】
大永7年(1527)~慶長元年(1596)。 父は左衛門尉系酒井氏の忠親。 通称小平次または小五郎、左衛門尉(さえもんのじょう)を名乗ります。 若年より徳川家康に仕えます。 永...
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小早川隆景(こばやかわたかかげ・横内正)【直江兼続・天地人関係...
天文2年(1533)~慶長2年(1597)。 毛利元就(もうりもとなり)の3男。 幼名徳寿丸、のち又四郎隆景と称します。 天文13年(1544)、竹原小早川家、さらに天文19年(1550)沼田小...
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井伊直政(いいなおまさ・長森雅人)【直江兼続・天地人関係】
永禄4年(1561)~慶長7年(1602)。 【徳川四天王】の1人。 幼名万千代。 兵部少輔。 遠江の名族井伊氏の嫡子として井伊谷(いいのや)に生まれます。 父直親の不慮の...
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榊原康政(さかきばらやすまさ・川野太郎)【直江兼続・天地人関係...
天文17年(1548)~慶長11年(1606)。 【徳川四天王】の1人。 徳川家康にも仕えた三河(松平家)譜代家臣榊原長政の次男として、天文17年(1548)三河上野で生まれます。 徳...
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豊臣秀吉の惣無事令
豊臣秀吉が推進する東西一統の大義名分です。 関白秀吉は天皇の代官として、諸国の紛争に介入し、戦国大名や国人衆同士の私戦を禁止します。目的は『境目を相立て、静謐(平和)に属すべく...
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豊臣秀吉と浅野長政は義理の兄弟(系図)
浅野長政
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浅野長政(あさのながまさ・中島久之)・五奉行の1人【直江兼続・...
天文16年(1547)~慶長16年(1611)4月7日。 尾張国春日井郡に生まれます。 長政を名乗ったのは50歳を過ぎてからで、それまでは長吉と称しました。 父は安井重継(やすいしげつぐ)...
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前田利長(まえだとしなが・尾上松也)【直江兼続・天地人関係】
家康に屈した秀頼御守役 生没年月日 永禄5年(1562)1月12日~慶長19年(1614)5月20日 享年 53 幼名 犬千代 ...
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直江兼続、豊臣秀吉の家臣になるよう誘われる【天地人・直江兼続関...
上杉家が、『豊臣秀吉』によって、それまで拠点にした越後から会津に移封された頃の話です。 天下人になった『豊臣秀吉』は、各大名の支え手である有能な武士を片っ端から物色していまし...
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宇喜多秀家(うきたひでいえ・須賀貴匡)【直江兼続・天地人関係】
元亀3年(1572)~明暦元年(1655)11月20日。 備前から備中・美作の一部を領有した宇喜多直家の嫡男。 八郎、備前宰相、後に休復と号します。 宇喜多直家は、播磨国守護代であった...
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明治の政争
党首討論なんて眠たいことなんかやってられるか! 明治の政治闘争は、まさに「殺し合い」だ! 不敗の宰相大久保利通 (講談社+α文庫)クチコミを見る 江藤新平伝―奇跡の国家プランナーの栄光...
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聚楽第・じゅらくだい【直江兼続・天地人関連城郭等】
☆☆☆ 京都市上京区 ☆☆☆ 聚楽第は豊臣秀吉の関白叙任により、京都における政庁兼邸宅として天正14年(1586)に築かれました。 聚楽第とは「楽しみを聚(あつ)むる第(やしき)」と...
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毛利輝元(もうりてるもと・中尾彬)【直江兼続・天地人関係】
天文22年(1553)1月22日~寛永2年(1625)4月27日。 毛利隆元(もうりたかもと)の長男として安芸国に生まれました。 幼名幸鶴丸、少輔太郎、右衛門督、右馬頭。 永禄6年(1563)、...
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前田利家(まえだとしいえ・宇津井健)【直江兼続・天地人関係】
天文7年(1538)12月25日or天文6年(1537)or天文5年(1536)~慶長4年(1599)。 尾張国愛知郡荒子城(あらこじょう・名古屋市中川区荒子4丁目)の城主前田利春(まえだとしはる・利昌)...
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福島正則(ふくしままさのり・石原良純)【直江兼続・天地人関係】
永禄4年(1561)~寛永元年(1624)。 幼名市松、左衛門大夫、清須侍従と称し、高斎と号します。 尾張国二ツ寺村(愛知県美和町)で生まれます。 父は市兵衛正信、母は豊臣秀吉の伯...
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黒田官兵衛孝高(くろだかんべいよしたか)【直江兼続・天地人関係...
天正15年(1546)~慶長9年(1604)。 播磨国飾東郡姫路で生まれます。 一族は、播磨守護赤松氏や小寺氏に仕えます。 父は黒田職隆(くろだもとたか)で、御着城(ごちゃくじょう)...
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禰・お祢・北政所・高台院(ねね・おね・きたのまんどころ・こうだ...
天文17年(1548)~寛永元年(1624)。 豊臣秀吉の正室。 自署名は禰(ねね)。 尾張の人杉原定利の次女。 杉原定利の息子で、ねねの兄木下家定(きのしたいえさだ)の5男が小早...
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千利休・千宗易(せんのりきゅう・せんのそうえき・神山繁)【直江...
大永2年(1522)~天正19年(1591)。 和泉国堺の今市町に生まれます。 納屋衆の1人千与兵衛の子で名は与四郎。 利休は居士号、宗易は法諱。 侘び茶の祖村田珠光(むらたしゅこう...
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与板城・よいたじょう【直江兼続・天地人関連城郭等】
☆☆☆ 長岡市与板町与板 ☆☆☆ 与板城は直江景綱(なおえかげつな)、信綱(のぶつな)、兼続3代の居城です。 信濃川に向かって舌状に伸びる丘陵上に位置しています。 実城(みじ...
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小早川秀秋・豊臣秀俊(こばやかわひであき・とよとみひでとし・上...
天正10年(1582)~慶長7年(1602)。 近江国長浜で生まれました。 父は、豊臣秀吉の正室ねね(おね・お祢・北政所・高台院)の兄木下家定(きのしたいえさだ)で5男、母は杉原家次(す...
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雲洞庵・うんとうあん【直江兼続・天地人関連城郭等】
☆☆☆ 新潟県南魚沼市雲洞 ☆☆☆ 曹洞宗の寺院。 養老年間(717~724)に律宗寺院として創立されたが、その後衰退し、応永27年(1420)に関東管領上杉憲実(うえすぎのりざね)が再興...
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東国取次役・上杉景勝【天地人・直江兼続関係】
上杉景勝初上洛・会見の3ヶ月後、豊臣秀吉は上杉景勝を東国取次役に任命しました。豊臣秀吉と東国の諸大名・国人衆との橋渡し役です。 すなわち豊臣秀吉の命令や意向を伝え、かつ諸大名の...
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北高全祝(ほっこうぜんしゅく・加藤武【直江兼続・天地人関係】
永正4年(1507)~天正14年(1587)。 出羽国の出身。 諸国遍歴ののち、越後国雲洞庵の不点存加の跡を継いでその住持となりました。 永禄10年(1567年)ころ武田信玄に招かれ信...
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直江兼続。兜(かぶと)の前立ては『愛』【天地人・直江兼続関係】
直江兼続の兜の前立ては『愛』という文字です。これはほかに類を見ない非常に特異なものです。 『愛』という文字。当時は今現在のように人を愛する、民を愛するというような意味はこの文字...
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位階一覧
官途 位階 関白 正一位 右大臣(右府) 従一~二位 内大臣(内府) 正三位 大納...
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およし(西原亜希)【天地人登場人物】
直江兼続の父・樋口惣右衛門兼豊の後妻です。 およしの父親は信州衆泉弥七郎重蔵(いずみやしちろうしげくら)です。 文禄3年(1594)の『文禄三年定納員数目録』によると、直峰衆...
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樋口惣右衛門兼豊(ひぐちそうえもんかねとよ)の再婚・後妻(およ...
文禄3年(1594)の『文禄三年定納員数目録』によると、直峰衆(新潟県上越市安塚区安塚の直峰城)として「妻泉弥七郎重蔵娘 樋口伊予守」とあります。 文禄3年(1594)時点では、直江兼続...
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箸墓古墳が卑弥呼の墓?
「卑弥呼の墓」との説がある箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)の築造時期について、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の研究グループが240~260年とする調査結果をまとめた。(読売新...
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須田満親(すだみつちか)【直江兼続・天地人関係】
生年月日不詳~慶長3年(1598)2月。 須田城(長野県須坂市小山町)主。 須田氏は享徳3年(1454)以降、須田郷を中心に勢力を拡大してきた豪族。 須田満親は右衛門大夫、従五位下...
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泉弥七郎重蔵(いずみやしちろうしげくら)【直江兼続・天地人関係...
生没年月日不詳。 泉弥七郎重蔵について、文禄3年(1594)の『文禄三年定納員数目録』によると、直峰衆(新潟県上越市安塚区安塚の直峰城)として「妻泉弥七郎重蔵娘 樋口伊予守」とあり...
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真田昌幸(さなだまさゆき・岩松了)【直江兼続・天地人関係】
「表裏比興の者」とされた謀将 生没年月日 天文16年(1547)~慶長16年(1611) 享年 65 通称 源五郎 ...
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真田幸村・真田信繁(さなだゆきむら・さなだのぶしげ・城田優)【...
人質として上杉家に送られるが、直江兼続を兄のように慕い、兼続のの精神に感銘を受けます。 永禄10年(1567)~元和元年(1615)5月7日。 上田城(長野県上田市上田字二の丸)主真田...
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曹洪[そうこう](?~232)魏/王輝(ワン・ホゥイ)【三国志登場...
字は子廉(しれん)。 曹操のいとこ。 董卓討伐軍で旗揚げをした曹操の軍に加わります。 董卓軍にやぶれて敗走する曹操をまもり、「この天下に曹洪なくとも曹操は必要」といって、満身創痍...
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五大老・五奉行(各官位、所領、仕事内容等)・最初は六大老
☆☆☆ 五大老 徳川家康 正二位内大臣(江戸内大臣) 関東256万石 伏見城留守居 前田利家 従二位大納言(加賀大納言) 加賀等84万...
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上条政繁出奔【天地人・直江兼続関係】
上杉景勝の初上洛時に衝撃的な事件が起こります。上条政繁が出奔を遂げたのです。彼は越後の所領を放棄して、秀吉の馬廻り(旗本)となります。日頃の鬱憤が、行動に駆り立てたのでしょう。 ...
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直江兼続と上条政繁の権力抗争
天正11年(1583)2月、上条政繁(じょうじょうまさしげ)が海津城将に転じて、北信濃を統括します。その際、上杉景勝は「ご遠慮せずに、こちらに問い合わせをされることなく、然るべく御仕置...
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甘糟長重・景持(あまかすながしげ・かげもち)【直江兼続・天地人...
生年月日不詳~慶長9年(1604)6月26日。 父母は不明。 近江守を称し、景重(かげしげ)とも景持(かげもち)とも名乗っています。 越後枡形城・桝形城(ますがたじょう・新潟県長岡...
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色部長実・色部長真(いろべながざね)【直江兼続・天地人関係】
生年月日不詳~天正20年(1592)。 惣七郎、修理大夫、長実。 平林城(新潟県神林村葛籠山)主色部顕長の弟。 色部氏は平姓秩父氏の一族秩父為長を祖とします。 色部為長は富士川...
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上杉景勝の抱える課題(上杉景勝初上洛時の秀吉との会談内容 推測...
1つは国内の新発田重家(しばたしげいえ)問題。後に秀吉は、上杉景勝に和議を勧告することになります。もう1つは真田昌幸の帰属問題で、すでに徳川・北条同盟との確執につながっています。 ...
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木造大日如来像」が大手百貨店の三越により1430万ドル(約14億円)...
お釈迦様について正確な年代は解っていません。 では、当時は歴史に残せないような無名な人だったのか? そうではありません。 古代インドはたくさんの哲人や思想家を輩出しましたが、年代...
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上杉景勝・羽柴秀吉同盟の締結
天正11年(1583)1月、上杉景勝は羽柴秀吉と同盟を結びます。意外かもしれませんが、有力戦国大名の中で、最も早く秀吉に誼を通じたのは上杉景勝です。このとき、直江兼続と並ぶ外交官・狩野...
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東国の支配(上杉景勝初上洛時の秀吉との会談内容 推測その1)
秀吉は北条氏政・氏直父子が上洛要請に応ぜず、関東独立を目論んでいることを問題視しています。その対応をどうするか。次いで奥羽を制圧しない限り、秀吉の東西一統は完結しません。 秀吉...
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千坂景親・千坂対馬守景親(ちさかつしまのかみかげちか)【直江兼...
生年月日不詳~慶長11年(1604)4月24日。 対馬守。 鉢盛城(はちもりじょう・新潟県阿賀野市女堂)主。 千坂氏は越後守護上杉氏の直臣で、文明~明応年間(1469~1501)にかけ、対...
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上杉景勝、初めての上洛
天正14年(1586)5月、春日山城を発った上杉景勝は、上洛の途に就き、北陸道を上ります。直江兼続、上条政繁、千坂(ちさか)景親らの重臣が随行しています。 途中、加賀では前田利家と石...
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豊臣秀吉の上杉景勝への上洛要請
天正12年(1584)~天正13年(1585)の上杉分国を巡る情勢を、ダイジェストしてみましょう。天正12年(1584)には「小牧長久手の戦い」が起こり、羽柴秀吉と織田信雄&徳川家康が対峙します。...
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お涼(おりょう・木村佳乃)【天地人登場人物】
千利休の娘。 天正14年(1586)上杉景勝・直江兼続が初めて上洛した際、大坂から泉州堺へ向かう廻船の上で直江兼続と出会います。 天正16年(1588)景勝・兼続再上洛時。直江兼続が千利...
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狩野新介秀治・狩野秀治(かのうひではる)【天地人登場人物】
生年月日不詳~天正12年(1584)。 新介、彦伯(げんぱく)。 出雲尼子(あまご)氏旧臣。 『御家中諸士略系譜』によれば、父は越中神保氏の旧臣狩野秀基とあります。秀治は狩野秀基...
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羽柴秀吉・石田三成と上杉景勝・直江兼続の落水城会見
「越中の落水城(おちみずじょう・おちりみずじょう)で、羽柴秀吉・石田三成主従と上杉景勝・直江兼続主従が会見した」という話があります。 石田三成と直江兼続は同い年で25際。 関ヶ...
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オンラインカタログのお知らせ
京都 古裂会オークションの実際のカタログをウェブ上にて無料で参照頂けます。On-line Catalog Japanese Antique Auction実際のカタログの発行部数10,000部に加えWEB上にカタログを公開す...
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中条景泰(なかじょうかげやす)【天地人登場人物】
永禄元年(1558)~天正10年(1582)6月3日。 吉江城(新潟市吉江)主吉江景資の次子。 与次、越前守。 永禄10年(1567)、8月1日、上杉謙信から一字賜わり、景泰を名乗ります。 ...
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竹俣慶綱(たけのまたよしつな)【天地人登場人物】
生年月日不詳~天正10年(1582)6月3日。 三河守。 竹俣氏の祖先佐々木盛綱は源頼朝の挙兵以来、戦功がありました。 鳥坂城(とっさかじょう・新潟県胎内市羽黒)の城資盛討伐に総...
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山本寺景長(さんぽんじかげなが)【天地人登場人物】
生年月日未詳~天正10年(1582)6月3日。 越後不動山城(ふどうさんじょう・新潟県糸魚川市越字要害)主山本寺定長(さんぽんじさだなが)の子(or弟)として生まれます。 幼名は宮千代...
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お藤(おふじ・田中美佐子)【天地人登場人物】
直江兼続の母親。 彼女については2説あります。 1.信濃飯山城主泉重蔵の娘で、通説として描かれる人物です。 これは文禄3年(1594)の『定納員数目録(じょうのういんずうもくろく』で...
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泉沢久秀(いずみざわひさひで・東幹久)【天地人登場人物】
生年月日不詳~元和元年(1615)3月。 父母は不明。 天正7年(1579)2月には河内守を称しています。 泉沢久秀は、上杉景勝の直臣衆である上田衆(新潟県南魚沼市の坂戸城)出身で...
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魚津城・うおつじょう【直江兼続・天地人関連城郭等】
☆☆☆ 富山県魚津市本町 ☆☆☆ 松倉城とともに越中における上杉軍の拠点となります。 天正6年(1578)上杉謙信が亡くなると織田信長軍が越中に進出。 天正10年(1582)織田軍による...
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信長の越中攻略(魚津落城 その1)【天地人・直江兼続関係】
上杉謙信と織田信長は、越中・能登をめぐって対立していましたが、天正5年(1577)9月、七尾城(石川県七尾市)、末森城(石川県宝達志水町)を降した上杉謙信が手取川で柴田勝家率いる織田軍...
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決死覚悟の連署状(魚津落城 その2)【天地人・直江兼続関係】
天正10年(1582)4月上旬の織田方1万に対し、上杉方は4千。 4月17日は松倉城(魚津市)の上条政繁らが織田勢を突破し、魚津城に合流する働きをみせましたが、上杉勢の劣勢は相変わらず続き...
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於松(おまつ・逢沢りな・直江兼続とお船の子・長女)【直江兼続関...
生年月日未詳~慶長10年?(1605)8月17日。 直江兼続とお船の方の長女。 慶長9年(1604)閏8月、直江兼続の養女となった徳川幕府の重臣本多正信の次男本多左兵衛政重(ほんださひょう...