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戦国時代 (305)

戦国時代の人物、合戦ほかなんでも。

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blog戦国武将たちの家紋ー前田慶次
2009/05/21 17:54
天地人 前田慶次とは戦国時代末期から江戸時代初期にかけての武将で、前田利家の義理の甥。武勇に優れ、古今典籍にも通じた文武両道の将だったが、奇抜な振る舞いを好むカブキ者としても知られた。 前田慶次は幼名は宗兵衛。 信長の家臣滝川一族の庶子であったが、母が前田利久と結婚したことから前田家の養子となる。 当時は慶次郎利益と名乗った(利益・利太・利卓・利治などと名乗ったともいわれる。) しかし義父利久…

ブログ家紋ネットだよ〜

sn_itmfv_l

blog家紋変化のルールー原型を改変したパターン−2
2009/04/30 13:53
これは原形の形、スタイルに手を加え、改造していくことをさす。とはいっても、原形は何らかの方法によって残し、その変形であることが分るよう工夫されている。 ■ 上下    紋の形を上下さかさまにしたスタイル。藤紋の”上り藤”と”下がり藤”が有名 ■ 折れ   葉や花びらを折った形。折れ柏、折れ鷹の羽など ■ 結び   紐の結ばれたようにデザインしたもの。結び柏、結び雁金など、 ■ 似せ …

ブログ家紋ネットだよ〜

sn_itmfv_l

blog★太陽神と風の神
2009/04/06 20:01
この 家紋は、非常に古い家紋であり、この家紋を持つ人は、植物と共に生き、植物から霊力や恩恵を受けた縁(えにし)を持つ、ルーツがあります。 植物の守護神は、天であり、ここには、あらゆる植物にパワーを与えてくれる太陽があります。 この紋を持つ方は、身近な所に 植物を取り入れる事で、災難から逃れられたり、運気をアップさせる事ができます。家紋に使われている植物は、それぞれ霊力のあるものが、多く、これを用…

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uranaiswan

blog生け捕られた三成の信念とは
2006/05/14 23:52
関ヶ原の合戦後、石田三成は逃亡中に田中吉政に捕らえられますが、とにかく命乞いなどすることなく、罵られても言い返すだけの自分の信念を持ち続けていました。 当ブログの右サイドバーでやっているアンケートでは石田三成はぶっちぎりでトップですが、そういうところに人気があるんでしょうかね?三成ファンの皆さんはぜひこの記事のコメント欄にでも三成の好きなところを書き込んでください(笑)。 今日は関ヶ原後の三成…

ブログ関ヶ原ブログ

mansaku21

blog明石城跡・公園内桜
2009/04/08 14:09
明石公園(兵庫)の入り口近くの上段一室にガラス張りの「とき打ち太鼓」というのがあります、決められた、時間に武士の格好の人形が太鼓を打つのですが、(写真はガラスに風景が写りうまく撮れませんでした。。) とき打ち太鼓の隣に「三つ葉葵」の紋がありました。 明石城跡 明石公園内桜 今晩あたりは花見客でにぎわうことでしょう。 さくらの下は場所取りの青いシートが一面にしかれていました。

ブログ家紋ネットだよ〜

sn_itmfv_l

blog堀部安兵の家紋
2009/03/10 22:54
堀部 武庸(ほりべ たけつね、寛文10年(1670年)- 元禄16年2月4日(1703年3月20日))は赤穂浪士四 十七士の一人。四十七士の中では一番の剣客で、大石内蔵助に匹敵する人気を誇る人物。通称の安兵衛(やすべえ)の名で有名。 浅野内匠頭が刃傷をおこし赤穂が取り潰しになると、血の気が多く実戦経験があり腕の立つ安兵衛は討ち入りの急進派の代表格となり、大石らはこれを引き止めるのに苦労したという。 討ち入りは成功に…

ブログ家紋ネットだよ〜

sn_itmfv_l

blog右二つ巴
2009/03/07 17:37
「仮名手本忠臣蔵」において吉良邸討ち入りを果たす赤穂の四十七士のリーダー、 大石内蔵助が叩いていた陣太鼓の流派として有名だが、実際には山鹿流陣太鼓というのは存在せず、物語の中の創作。 大石家の家紋ーー右に二つ巴 陣太鼓に描かれている家紋 大石内蔵助良雄 -行年四十五歳 おおいしくらのすけよしたか 戒名-泉岳寺墓碑:忠誠院刃空浄劔居士 討ち入り部署:表門    討ち入り後のお預け先:細川家 辞…

ブログ家紋ネットだよ〜

sn_itmfv_l

blog直江状全文読み下し
2007/02/24 02:02
直江状…。 それは、徳川家康を激怒させたという日本史上屈指の挑発文でございます。 (今さらですが)書いたのは直江兼続という上杉家の家老だった男です。 「すごいすごいというけど、どんだけすごいねん!!」…というあなたのために全文書き下しをご用意しました! さあ、兼続の挑発に酔いしれるがいい!! ●直江状全文読み下し

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mansaku21

blog秀吉自ら御来訪!秀吉と景勝の「墜水の会」その1
2007/05/25 23:50
↓いつも応援クリックありがとうございます。これからもよろしくお願いします! 関ヶ原ブログでは、上杉景勝といえば豊臣家五大老の一人としておなじみですが、今回の話は、まだ景勝が秀吉に臣下の礼をとる前、初会見の場をつくるために秀吉が少数のお供のみをつれて、上杉領を自ら訪れたという話です。 さて、秀吉はいったいどんな方法で当時はまだ敵対していた上杉景勝と直江兼続との会見をしようというのでしょうか?…

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mansaku21

blog家康をコケにした直江状の内容とは?
2006/10/17 11:08
ブログ村 歴史ブログ 「上杉を討つ!討つ!!討つ!!!」 大河ドラマ『功名が辻』の関ヶ原直前の巻。 いよいよもうすぐ関ヶ原の合戦ということで、家康も動き回っているわけですが、この家康に「上杉を討つ!」と怒らせたのが、何を隠そう上杉家家老・直江兼続の書いた「直江状」であります。 直江状は、もともと家康の詰問形式の書状に事細かに返答した書状なんですが、この内容が人を喰ったような感じで書かれてい…

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mansaku21

blog直江兼続、政宗に思い切った皮肉をあびせる
2006/03/03 15:00
伊達政宗と直江兼続はどうにも反りが合わないのか、こないだの大判の話しに続いて、もう一回衝突しています。それにしても、兼続…。史実かどうか危ういとはいえ、「直江状」といい、こないだの大判の時といい、今回といい…ホント、クチが達者だなあ…。 ■直江兼続と伊達政宗

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mansaku21

blog直江兼続、「汚いものには触りたくありません。」
2006/02/26 22:34
「直江状」で家康を手玉にとった直江兼続ですが、その前には伊達政宗にも嫌味を言ってました。ホントに嫌なヤツだったんじゃないだろうな…(笑)。 ■大判を自慢する政宗

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mansaku21

blog関ヶ原合戦人名事典 小早川秀秋 
2005/12/06 15:53
小早川秀秋 1582〜1602(天正10年〜慶長7年) 金吾中納言。瑞雲院秀巌日詮。 豊臣秀吉の正室である北政所の兄・木下家定の5男。幼少時は主に北政所に養育された。3歳の時に豊臣秀吉の養子となり、羽柴秀俊と名乗って丹波亀山10万石を領するが、文禄2年(1593)に秀吉に実子・秀頼が産まれると、小早川家に養子に出される。 文禄・慶長の役に参加し、自ら槍を振るって奮闘するが、「大将のとる行動ではない」と秀吉から叱責され…

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mansaku21

blog関ヶ原合戦人名事典 石田三成
2006/05/23 03:49
石田三成 1560〜1600(永禄3年〜慶長5年) 幼名・通称は佐吉。石田正継の次男。治部少輔。はじめは三也と書いた。史料によっては、これの読みを「カズシゲ」としているものもあるというが、字から考えて「ミツナリ」で間違いならしい。 出身地は近江国(滋賀県)坂田郡石田村で、幼少期は寺に預けられていた。なお、この時、近江長浜城主だった羽柴秀吉に見出されて仕えるようになる。 秀吉の配下としては、吏僚として活躍…

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mansaku21

blog大垣城水攻め計画
2006/08/28 14:05
現在、関ヶ原の合戦がなぜ関ヶ原で行われたかについては、「西軍が東軍におびき出された」というのが一般的になっています。 しかし、それは軍記物の類でよく言われる説であって、要するに後世になってから語り継がれた説なのであります。実際の一次史料を見てみると、「西軍が東軍におびき出された」のではなく、「西軍は自発的に関ヶ原に行った」とみるのが正しいようです。 でも、西軍は大垣城に籠城して、大坂から豊臣秀…

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mansaku21

blog秀忠、占いを真っ向否定
2006/04/24 23:30
あなたは、占いを信じますでしょうか? 自分の場合は、たまたまテレビの朝の占いとか見た時に、自分にとって都合の良い結果なら、「あ、当たるといいな〜」くらいに思っています。悪い結果の時はまあ無視ですが(笑)。 戦国時代なんかは占いや迷信もけっこう信じられていた部分はあります。とくに合戦前のげんかつぎみたいなことは広く行われていたそうです。 そして、中国の三国志なんかにはよく登場するのが、今も昔も…

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mansaku21

blog家康対策の兵糧30万石が家康の手に??
2006/11/14 23:40
ブログ村 歴史ブログ 豊臣政権下において、東海道に配置された大名たちは、いずれも秀吉への忠義のあつい者たちばかりでした。秀吉は、農民から一代で身を起こした人物だったので、譜代の家臣などはおらず、終始本当に信じられるヤツは誰かを探っていたという説もあります。 何はともあれ、東海道に配置された大名たちは、一応秀吉に信頼を受けた者たちだったわけです。 代表的なところでは、尾張の福島正則。三河の田中…

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mansaku21

blog順風の山内一豊夫妻を襲った悲劇
2006/01/21 14:00
ここぞという時の活躍と、妻の援助もあって、山内一豊は出世していきました。しかし、人生山あり谷あり。順風満帆な時もあれば、ずどーんと落ち込むこともあります。一豊もちょうど長浜城主になった頃に不幸が重なります。 ■畿内・東海を襲った大地震! 天正13年(1585)の閏8月、一豊は近江国(滋賀県)の長浜城主となった。2万石の城持ちである。このときの一豊の主君は、羽柴秀吉。蛇足ながら併記しておくと、秀吉はこの年…

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