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戦国時代 (299)
戦国時代の人物、合戦ほかなんでも。

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blog武田信玄(1)「甲斐の虎誕生」
2006/12/24 13:34
甲斐国主の嫡男誕生 武田信玄は、甲斐国守護の武田信虎の嫡男として戦乱の世(戦国時代)に誕生したのである。だが、嫡男(跡継ぎ)でありながら・・・

ブログ戦国時代・武将たちの歴史情報ブログ

akasonae5

blog大垣城水攻め計画
2006/08/28 14:05
現在、関ヶ原の合戦がなぜ関ヶ原で行われたかについては、「西軍が東軍におびき出された」というのが一般的になっています。 しかし、それは軍記物の類でよく言われる説であって、要するに後世になってから語り継がれた説なのであります。実際の一次史料を見てみると、「西軍が東軍におびき出された」のではなく、「西軍は自発的に関ヶ原に行った」とみるのが正しいようです。 でも、西軍は大垣城に籠城して、大坂から豊臣秀…

ブログ関ヶ原ブログ

mansaku21

blog秀忠、占いを真っ向否定
2006/04/24 23:30
あなたは、占いを信じますでしょうか? 自分の場合は、たまたまテレビの朝の占いとか見た時に、自分にとって都合の良い結果なら、「あ、当たるといいな〜」くらいに思っています。悪い結果の時はまあ無視ですが(笑)。 戦国時代なんかは占いや迷信もけっこう信じられていた部分はあります。とくに合戦前のげんかつぎみたいなことは広く行われていたそうです。 そして、中国の三国志なんかにはよく登場するのが、今も昔も…

ブログ関ヶ原ブログ

mansaku21

blog家康対策の兵糧30万石が家康の手に??
2006/11/14 23:40
ブログ村 歴史ブログ 豊臣政権下において、東海道に配置された大名たちは、いずれも秀吉への忠義のあつい者たちばかりでした。秀吉は、農民から一代で身を起こした人物だったので、譜代の家臣などはおらず、終始本当に信じられるヤツは誰かを探っていたという説もあります。 何はともあれ、東海道に配置された大名たちは、一応秀吉に信頼を受けた者たちだったわけです。 代表的なところでは、尾張の福島正則。三河の田中…

ブログ関ヶ原ブログ

mansaku21

blog順風の山内一豊夫妻を襲った悲劇
2006/01/21 14:00
ここぞという時の活躍と、妻の援助もあって、山内一豊は出世していきました。しかし、人生山あり谷あり。順風満帆な時もあれば、ずどーんと落ち込むこともあります。一豊もちょうど長浜城主になった頃に不幸が重なります。 ■畿内・東海を襲った大地震! 天正13年(1585)の閏8月、一豊は近江国(滋賀県)の長浜城主となった。2万石の城持ちである。このときの一豊の主君は、羽柴秀吉。蛇足ながら併記しておくと、秀吉はこの年…

ブログ関ヶ原ブログ

mansaku21

blogミッチー
2006/02/01 15:57
石田三成 たかが20万石の大名が、関ヶ原で徳川とガチンコ勝負しちゃった武将です。 最近まで戦下手、頭でっかちで他人のこと何て考えられない人間だと思っていたんですが、 よくよく考えてみれば、関ヶ原以降は徳川幕府が日本を牛耳っていたわけで、徳川が豊臣から政権を奪った事を正当化するには、三成を悪者とした方が都合が良い。 三成が上杉・毛利・宇喜田等の大大名を味方に出来ている事からも、そこまで非道な人…

ブログpikoBlog

pikorisan

blog篤姫と島津家の家系図(縁戚)
2008/01/22 21:55
篤姫は津島家の分家に当たる今和泉家の生まれである。それがなぜ、家定の正室になったのか?当主・斉彬による政治的背景により徳川家の正室になる候補者を探した。 もっとも相応しいのは斉彬の実子に当たる姫である。しかし年頃の娘がいないばかりか多くの子供を病気などで亡くしている。そのため、分家の娘である篤姫が候補者に選ばれたとされる。 基準としては忍耐力や温故さがあった事が決め手になったようである。これに…

ブログ篤姫の人生と鹿児島ゆかりの地

kaito8600

blog島津 斉興(しまづ なりおき)
2008/01/22 22:04
島津 斉彬の父に当たる人物である。島津 斉興が藩主になった時の薩摩藩はもっとも貧乏と言われるほどひどい有様であった。負債は500万両になったと言われる。 斉興は調所と共に財政改革を実施する。具体的には琉球(沖縄)との貿易(琉球は中国との取引の拠点として利用されていた)を悪用して「抜け荷」と呼ばれる正規品ではない品物を仕入れて利益を得たり、特産品の販売強化等で傾いた財政を立て直す事に成功した。 その後、…

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kaito8600

blog島津家について
2007/12/27 23:32
篤姫を養女として迎えた島津家の人々とはどのような家柄であったのであったのか。それは鎌倉時代から江戸時代まで続いた家柄である。始まりは源頼朝〜みなもとのよりとも〜が抜擢した事によってはじまったとされる。 抜擢された経緯や婚姻関係などは不明であるが島津家の始まりになった事は間違いない。また、抜擢前の家系図は文書が残っておらずあいまいである。 その後、後醍醐天皇〜ごだいごてんのう〜や足利 尊氏〜あし…

ブログ篤姫の人生と鹿児島ゆかりの地

kaito8600

blog益々墜ちていく信長と光秀の攻防にハマッています!!
2006/05/28 23:39
毎回気になって目が離せない『功名ヶ辻』ですが、益々墜ちていく織田信長を、舘ひろしさんは見事に演じておられますね。当たりでしたね、今までいろんな役者さんたちがそれぞれの思いで信長を演じられましたが、舘さんが一番信長らしく感じられます、イイ意味でも悪辣な意味でも。おそらく信長はこんな人物であったのではないかと、彷彿とさせてくれますね。  更に、毎回ハラハラドキドキして見ているのが、光秀との攻防です。史…

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blog戦国の話し上手の大いたずら!
2006/07/23 04:52
戦国大名の側近くに仕える職業の一つとして、「御伽衆」というのがあります。基本的には、戦場での士気を高めるために武辺話を語ったりする職業で、若い頃は戦場で活躍した男が、年老いて槍をふるえなくなってから、この職業に転職したとかいいます。 ところが、この職業、戦国後期になるとなぜか活躍の場が広がっていきます。それこそ、戦場で武辺話を語るなどという男臭い感じのするものばかりでなく、普段から大名の暇つぶし…

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mansaku21

blogQ.小山評定の時に、家康に味方しなかった武将は誰か?
2006/07/24 00:07
本日7月24日は、小山評定のあった日です。 小山評定といえば、関ヶ原直前、会津征伐に向かった家康が三成挙兵の報を受けて、急遽開いた評定。 このとき、家康はよく知られるように、 「おのおの方の妻子は、大坂に人質にとられておるゆえ、さぞ心配でござろう。されば、これより速やかにこの陣を去り、大坂に舞い戻って治部(三成)や備前中納言(宇喜多秀家)に味方しようとも、わしはいささかもおのおのの行動を恨みに思…

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mansaku21

blog戯れで家康を追い詰めた男!
2006/07/27 16:16
この間、豊臣秀吉の御伽衆だったと言われる曾呂利新左衛門の話を書きましたが、徳川家康にもなかなかおどけた御伽衆のような男が仕えていたそうです。 ■「たんはん」

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mansaku21

blog勝手に暇をもらう男・本多作左衛門
2006/07/29 21:35
家康の家臣に本多作左衛門重次という武将がいます。言うことが豪快で、家康に対してもはばかる所もなく、言いたいことを言っていたようですが、家康から「やれやれ、作左にはかなわぬ」というような態度はとられても、疎まれることはありませんでした。 それもそのはず。作左は真に家康に忠誠を尽くしていたからなのです!! ■医者嫌い?の家康

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mansaku21

blog関ヶ原合戦人名事典 平塚為広
2006/08/03 03:23
平塚為広 ????〜1600(????〜慶長5年) 幼名は孫九郎。因幡守。 豊臣秀吉の馬廻り衆として、小牧・長久手の戦いや小田原征伐などでに功を挙げた。文禄の役では、肥前名護屋に駐屯していて、渡海はしなかったらしいが、文禄4年(1595)には5千石に加増されている(異説もあり)。慶長3年(1598)3月、醍醐の花見に秀吉の側室の護衛として参加しており、また、8月の秀吉の死後、遺品として金5枚を受領した。それなりに秀吉か…

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mansaku21

blog家康に鋸引きにされた裏切り者
2006/08/04 02:48
「鋸引き」という拷問刑があります。 これは罪人を首だけ出して土中に埋めて鋸で一引きずつ少しづつ首を斬っていくというものです。江戸時代にも行われた拷問刑で、享保の改革で定められた「公事方御定書」には、「希望者は誰でも鋸を引いてよい。」「罪人は夜間には土から引き出し牢に戻す。」「2日間続けて死なない時には磔とする。」などの決まりごとも書いてあったそうです。 江戸時代には主に主殺しの罪人に適用されて…

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mansaku21

blog釜茹での刑といえば…
2006/08/07 03:40
前回は「鋸引き」の刑の話を書きましたが、戦国時代の拷問刑罰には他にも有名なものがあります。そのうちの一つが「釜茹で」。 釜茹では、太古オリエントが発祥と言われているそうですので、その歴史は長いですね。日本にいつ入ってきたのかはわかりませんが、鎌倉時代の元寇の時、元軍が対馬に上陸して、住民を次々に釜茹でにしたという記録があるそうです。 さて、釜茹でといえばやっぱりこの人。 石川五右衛門です。 …

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blog現代人も聞けい!「おあむ」のありがた〜い説教
2006/08/14 14:33
以前、『おあむ物語』という史料を取り上げたことがあります。(⇒こちら参照) 関ヶ原の合戦時に大垣城にいて、男たちが戦場でとってくる敵の首に死化粧をほどこしたという実に生々しい描写が印象的でしたが、この『おあむ物語』には、おあむの幼少期の貧乏生活の模様が書かれており、さらにはそれを述懐するおあむの説教メッセージも載っています。 現代にも共通する(かもしれない)おあむの説教。 さあさあ特に若い者ども…

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