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「五万日の日延べ」

西暦1871年8月28日「解放令」発布から五万日目、2008年7月20日までの解放運動の歴史をふりかえる。 ※「五万日の日延べ」 http://gold.ap.teacup.com/applet/wtti/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%8C%DC%96%9C%93%FA%82%CC%93%FA%89%84%82%D7&inside=1&x=43&y=11

みんなの投稿

  • 1962(昭和37)年5月12日

     [[解放同盟]][[第二回中央委員会]]が開かれ、 一、秋季全国闘争をめざす当面の課題 二、[[滝川政次郎教授]]事件[[糺弾]]方針などを決定する。 『差別の執念』 盛田 嘉徳より  (『部...

  • 1951(昭和26)年10月19日

     [[京都]]で、[[オールロマンス事件]]が起こる。  この事件を契機に、[[部落解放運動]]は[[差別行政]][[反対闘争]]へと発展した。

  • 1922(大正11)年3月3日

     [[全国水平社]][[創立大会]]が、[[京都]][[岡崎公会堂]]で開かれる。  一九二二年三月三日の朝は快晴で、暁闇のうちから京都駅に着いた岡山の青年たち、消防団旗を持ってハッピを...

  • 1887(明治20)年6月18日

     松本治一郎が、福岡県筑紫郡豊平村宇金平(現福岡市○○○町)に生誕する。  父は農業のかたわら、桐材、竹皮の仲買いを商う。  私は、いわゆる『新平民』といわれる部...

  • 1952(昭和27)年4月27日

     [[西川県議差別事件]]で、[[和歌山県]]臨時延長県会が、「[[部落解放行政強化についての請願書]]」を全会一致で[[採択]]し、[[西川県議]][[リコール]]を決定する。

  • 1952(昭和27)年4月26日

     [[西川県議差別事件]]で、[[和歌山県]]下の[[同盟休校]]は五五校に達する。  [[海草郡]]で緊急町村長会が開かれる。  [[4月28日]]から、郡下小中高校無期限[[同盟休校]]、[[知事]]への[[...

  • 1952(昭和27)年4月17~18日

     [[西川県議差別事件]]に対し、[[和歌山県教委]]が、[[4月19~21日]]、県下小中高校一斉[[臨時休校]]すると決定し、[[通達]]を行う。 

  • 1952(昭和27)年4月16日

     [[和歌山]]([[御坊町]])の[[西川県議差別事件]]・糺弾共闘委員会で、実力行使やむなしと確認し、[[4月19日]]より、[[日高]]・[[西牟婁]]・[[有田]]各郡で、[[同盟休校]]すると決定する。

  • 1931(昭和6)年3月9日

    [[水平社]]の[[山田孝野次郎]]が[[死去]]する。

  • 1925(大正14)年3月3日

    1925(大正14)年3月3日[[水平デー]]が[[全国]]で[[展開]]される。    1925(大正14)年5月7~8日[[全国水平社]][[第四回大会]]が[[大阪市中之島公会堂]]で開催される。[[松本治一郎]]が...

  • 1953(昭和27)年2月27日

    [[和歌山]](御坊町)で、[[西川県議差別事件]]が起こる。

  • 1923(大正12)年2月17日

     [[全国水平社]]第二回大会準備会が[[大阪]]で開かれ、「[[荊冠旗の下に団結せよ]]」の檄文を発表する。

  • 1922(大正11)年2月11日

     [[大日本平等会]]の[[同胞差別撤廃大会]]([[大阪市中之島公会堂]])で、[[西光万吉]]・[[泉野利喜蔵]]・[[岡部よし子]]らが演壇に立ち、[[全国水平社]]創立のアピールを行う。

  • 1922(大正11)年2月5日

     [[奈良県]][[柏原]]の[[阪本清一郎]]・[[西光万吉]]・[[駒井喜作]]らが、[[水平社創立趣意書]][[「よき日の為に」]]を発行して、全国の有志に呼びかける。

  • 1953(昭和28)年1月30日

     [[松本治一郎]]が、[[シェジマド・カースト]]解放の[[]アンベードガル]氏と会見する。

  • 1966(昭和47)年1月28日

     [[「同対審」答申]]完全[[実施要求]][[国民運動]]中央委員会が、[[対政府統一交渉]]を実施する。   [[松本治一郎]]が挨拶する。  今後も、こういう運動をしなければならない日本の...

  • 1966(昭和47)年1月17日

     [[「同対審」答申]]実施要求国民運動中央実行委員会が開かれる。 

  • 1966(昭和47)年12月29日

    ヽ(TдT)ノ『石川一雄獄中歌集』(一九六六・十二・二九)より    運動場行きに帰りに覗く窓シャバの息吹きの見ゆるも寂し  蜘蛛の巣に蝶思はせる葉のからみ風に揺られて夜...

  • 1950(昭和25)年11月27日

     [[米「ライフ」誌]] が、[[松本治一郎追放問題]]を掲載する。 この追放をめぐって、政界に巻き起こした挿話があった。一九五〇(昭和二五)年十一月の「ライフ」誌米国版に、「マ...

  • 1969(昭和44)年11月23日

    『石川一雄獄中歌集』(一九六九・十一・二三)より 『石川一雄獄中歌集』(一九六九・十一・二三) 冤のわれひと日暮れたり恙無く明日を信じてじっと眠らん 寂しさを寂し...

  • 1966(昭和41)年11月22日

     [[一九六六(昭和四一)年十一月二十二日午前二時五八分]]、「[[解放の父]]」[[松本治一郎]]が、[[七十九年]]にわたる闘いの生涯を閉じる。  第二の「[[解放令]]」といわれる[[「同和」対...

  • 1933(昭和8)年11月20日

     [[差別糾弾闘争委員会]]が、「[[要求貫徹闘争方針]]([[第二段階の闘争戦術]])」を決定する。

  • 1949(昭和24)年11月17日

     三重県で、「部落問題についての特別委員会」が設置される。

  • 1934(昭和9)年11月15日

     「[[水平新聞]]」の[[第四次復刊]]がなされる。

  • 1949(昭和24)年11月15日

     [[兵庫県]][[但馬]][[織布工場]]で、[[部落出身]]との理由で、[[女子労働者]]三名が[[解雇]]される。 [[森田益子さん]]ご自身の体験として、[[高知県]][[議会]][[議事録]]の[[答弁]]にも...

  • 1961(昭和36)年11月9日

     [[文部省]]が、[[全同教大会]]に対抗し、「[[全国同和教育研究会議]]」を開催する([[徳島]])。

  • 1965(昭和40)年11月9日

    1965(昭和40)年11月9~10日  第二回[[拡大中央委員会]]において、[[「同対審」答申完全実施を要求する国民運動展開に関する方針大綱]]を決定する。

  • 1949(昭和24)年11月7日

     [[宇和島事件]]第二回[[控訴]][[公判]]が開かれる。

  • 1912(明治45)年11月7日

     1912(明治45)年11月7~10日  [[内務省]]が、「[[全国細民部落改善協議会]]」を開き、各地の[[官僚]]的[[部落改善事業]]の結集をはかる。  ・[[福岡県]]「[[]鎮西公明会]」  ・[[広島...

  • 1969(昭和44)年11月6日

    『石川一雄獄中歌集』(一九六九・十一・六)より 『石川一雄獄中歌集』(一九六九・十一・六) 秋風の窓辺を叩く日暮れ時 軒に子雀母恋いて鳴く 夜の気配既に漂う 独房の...

  • 1969(昭和44)年11月5日

    『石川一雄獄中歌集』(一九六九・十一・五)より 『石川一雄獄中歌集』(一九六九・十一・五) 夕闇の冷たき風に運ばれて 何処ぞの膳か 秋刀魚の匂い 晩秋の空の青さが目...

  • 1963(昭和38)年11月5日

     [[香川県]][[知事]]が、[[解放同盟]]と[[全日自労]]の[[失対打切り]]闘争を、弾圧する。

  • 1940(昭和15)年11月3日

     「[[大和報国運動]]」発足大会が、[[東京]]で開かれる。

  • 1969(昭和44)年11月2日

    『石川一雄獄中歌集』(一九六九・十一・二)より 『石川一雄獄中歌集』(一九六九・十一・二) 秋風に沁みる独房のわれなれど 明日を信じて今日も闘い抜く 独房に母を偲べ...

  • 1940(昭和15)年11月2日

     [[全国水平社代表者会議]]が、[[東京]]で開かれ、[[大和報国運動]]支持を決議する。

  • 1961(昭和36)年11月1日

     政府が、[[「同和対策審議会」委員]]を決定する。

  • 1923(大正12)年11月1日

     [[]高橋貞樹]・[[中村甚哉]]・[[岸野重春]]・[[松田喜一]]らが、[[全国水平社]][[青年同盟]]を結成する。

  • 1965(昭和40)年10月29日

    『石川一雄獄中歌集』(一九六五・十・二九)より 『石川一雄獄中歌集』(一九六五・十・二九) 苔青く拡がる庭に遊ぶ鳩 吾は獄舎に羨み眺む 過ぎし日の儚い恋の想い出に時...

  • 1965(昭和40)年10月29日

     「[[荊冠友の会]]」が発足する([[奈良]])

  • 1965(昭和40)年10月27日

    『石川一雄獄中歌集』(一九六五・十・二七)より 『石川一雄獄中歌集』(一九六五・十・二七) 色褪せし 青き蒲団にくるまりて 眠れば夢に 母が浮び来 刑庭に 射し来る秋...

  • 1965(昭和40)年10月27日

    1965(昭和40)年10月27~28日  指定都市([[大阪]]・[[京都]]・[[神戸]]・[[名古屋]]・[[横浜]]・[[北九州]])[[教育委員長]]ならびに[[教育長会]]が、[[「同和」対策審議会答申]] [[完全実...

  • 1933(昭和8)年10月26日

     [[松本治一郎]]が、[[埼玉県花園村]]の[[高松地裁差別事件]]真相発表会に出席し、花園村村長[[差別事件]]を[[糾弾]]する。  [[松本治一郎]]が、[[浅草出合堀会館]]において、[[高松差別裁...

  • 2009(平成21)年10月24日

    広島で部落解放研究全国集会 「人権救済法制定を」  人権問題や差別撤廃について話し合う部落解放研究第43回全国集会が24日、広島県福山市で始まり、部落解放同盟の組坂繁之委員長はあ...

  • 1930(昭和5)年10月24日

     [[福岡県]]西田部落で、[[入会権]]を要求し、[[同盟休校]]が行われる。  [[税不納]]・[[小作料拒否]]などでたたかう。

  • 1962(昭和37)年10月22日

     10月22~24日  [[9月11日]]開催の、[[部落解放同盟]][[全国代表者会議]]での決定([[日韓会談]]粉砕、[[失対打切り]]反対、[[新日本窒素水俣労組]]支援など)を受けて、[[部落解放同盟]][...

  • 1926(大正15)年10月22日

     10月22~23日  [[全国水平社]]「[[労農党]]支持連盟」が発足する。

  • 1950(昭和25)年10月20日

    [[徳島県]][[富岡]][[簡易裁判所]]で[[差別事件]]が起こる。

  • 1960(昭和35)年10月20日

     故[[浅沼稲次郎]]氏の[[社会党]]葬に、[[部落解放同盟]]を代表して、[[松本治一郎]]が[[弔辞]]を述べる。  [[安保闘争]]に、[[松本治一郎]]が百万円をカンパする。    党会計の松...

  • 1965(昭和40)年10月20日

    『石川一雄獄中歌集』(一九六五・十・十)より 『石川一雄獄中歌集』(一九六五・十・十) 頼まれし数日渡って冤罪を悉く書き涙湧き来る

  • 1933(昭和8)年10月19日

     [[高松結婚差別裁判]]取消要求の[[全国部落代表者請願隊]](10.1[[福岡]]発)が[[東京]]に到着し、連日、[[司法省]][[大審院]]等に抗議する。

  • 1964(昭和39)年10月18日

     [[大阪府]][[富田林市]]で、[[部落]][[青年]]に、[[警官隊]]が[[差別]][[暴行]]する。

  • 1925(大正14)年10月18日

     「[[全水無産者同盟]]」派に対する反対派「[[全水自由青年連盟]]」が結成される。

  • 1948(昭和23)年10月16日

     [[愛媛県宇和島市]]伊吹町の[[八幡神社]]秋祭で、[[暴力団]]による[[差別殺傷事件]]が起こる。  [[愛媛県連]]は、市当局へ市警無能を[[糾弾]]、市長・市会[[リコール]]、被告の無罪要請署名...

  • 1950(昭和25)年10月13日

     [[吉田内閣]]により、「[[大和報国運動会役員]]」という名目で、唯一、一万九十一名の解除者から[[公職追放]](一九四九.一.二四)を除外された[[松本治一郎]]を、追放解除から除外せよとの[[...

  • 1958(昭和33)年10月13日

    [[防衛庁]]長官を除く全[[閣僚]]による「[[同和対策関係閣僚懇談会]]」設置が決定し、十七日発足にいたる。

  • 1954(昭和29)年10月12日

     [[松本治一郎]]が、新『[[解放歌]]』募集の審査委員長になる。

  • 1961(昭和36)年10月10日

     [[部落解放要求貫徹国民大会]]が、[[東京芝公園]]で開催される。  [[政暴法]]粉砕・[[完全解放]]行政要求決議を掲げ、[[国会]]へ二〇〇〇人請願[[デモ]]を行う。

  • 1951(昭和26)年10月10日

     [[部落解放委員会]]第七回[[全国大会]]が[[岡山]]で開催される。  戦後の[[解放運動]]の質的転換の方針決定と、[[単独講和]]・[[安保条約]]反対、[[毎日新聞糾弾決議]]等が採択される。

  • 1924(大正13)年10月6日

     [[大阪府]]新堂[[少年水平社]]の[[秋季大会]]が開催される。

  • 1965(昭和40)年10月5日

    『石川一雄獄中歌集』(一九六五・十・五)より 路頭の灯見えて悲しさ添える獄就寝告げるオルゴール淋しく 泣けるだけ泣いても癒える事でなし怒りの渦は日夜逆巻く 冤罪の怒...

  • 1965(昭和40)年10月4日

    1965(昭和40)年10月4~5日  部落解放同盟第二十回大会が東京で開かれる。  「答申」具体化と、国民運動の方針を決定、一部の偏向を整理。  部落解放要求貫徹全国闘争・同対審答申具...

  • 1956(昭和31)年10月3日

     [[部落解放同盟第一一回全国大会]]が開かれる([[大阪]])。  民主政党団体との[[共同闘争]]方針・青年婦人対策方針・[[平和運動]]方針等を決定する。

  • 1933(昭和8)年10月1日

     [[高松差別裁判]]取消要求の[[全国部落代表者請願隊]]が、[[福岡]]を出発する。  東京までの歩行行進の代表となった[[松本治一郎]]が、全国各地で[[差別裁判]]反対を訴える。  *[[193...

  • 1924(大正13)年10月1日

     [[埼玉県]][[婦人水平社]][[結成大会]]が開催される。

  • 1957(昭和32)年9月26日

    [[松本治一郎]]が[[日中友好協会]]の[[中国国慶節]][[祝賀代表団長]]として、訪中する。 「私は、これで中国ヘは四回目の訪問であります。これまでの三回は、いつも旅券でもめたが...

  • 1948(昭和23)年9月25日

     [[松本治一郎]]が、[[部落解放委員会]]と[[共著]]で、『[[部落解放への三十年]]』を出版する。  松本所有の果樹園農舎で、[[部落解放委員会]][[福岡県連]]の青年集会([[第一回解放学校]]...

  • 1958(昭和33)年9月24日

    [[]] 1958(昭和33)年9月24~25日  [[部落解放同盟第一三回全国大会]]が[[東京]]で開かれる。  [[部落解放]]の[[国策]]を樹立せよ、[[勤務評定]]に反対し、教育上の[[]]差別を一掃する...

  • 1924(大正13)年9月24日

       「[[徳川暗殺未遂容疑]]」で、[[保釈出獄]]を許された[[松本治一郎]]に対し、博多駅前で「松本歓迎会」が開催される。  [[徳川事件]]の容疑者として、逮捕されていた[[松本源太郎]]が...

  • 1924(大正13)年9月23日

     [[松本治一郎]]が、1924(大正13)年7月17日に「[[徳川暗殺未遂容疑]]」で、[[警視庁]]、[[福岡署]]に逮捕され、東京へ[[護送]]されていたが、[[保釈出獄]]を許される。 松本治一郎...

  • 1925(大正14)年9月20日

     『[[水平新聞]]』第二次創刊される。  [[中央融和事業協会]]が創立される。

  • 1925(大正14)年9月18日

     [[全水青年同盟]]二周年記念大会([[大阪]]、[[中之島公会堂]])において、同盟を解散し、[[全日本無産青年同盟]]準備会を設置し、別に[[水平社無産者同盟]]を結成する。

  • 1930(昭和5)年9月17日

    [[1930(昭和5)年9月17~25日]]  [[福岡県朝倉郡]]甘木町で[[差別事件]]が起こる。  [[甘木警察署]]が、恐喝容疑で[[井元麟介]]らを検束する。  税金不納・盟休などで二十三村にわたり...

  • 1965(昭和40)年9月17日

    『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・一七)より 『石川一雄獄中歌集』 (一九六五・九・一七)食ひ足りて獄舎にひとりまどろむはけものに似たる安らかさなり

  • 1965(昭和40)年9月16日

    [[1965(昭和40)年9月16~17日]]   [[部落解放同盟]][[中央委員会]]が、[[運動方針]]を協議する。  ([[松本治一郎]]氏の演説より)  「今回の答申で[[部落解放行政]]施策...

  • 1924(大正13)年9月15日

     [[和歌山県]][[少年少女水平社]][[創立大会]]が開催される。

  • 1959(昭和34)年9月15日

     政府が[[「同和」対策]] [[モデル地区]]を決定する。  同年、12月14日、[[部落解放同盟]][[国策樹立]]要請全国代表者代表団が、政府・自民党に、[[国策樹立要請]]決議文手交をし、[[モデ...

  • 1965(昭和40)年9月14日

    『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・一四)より 『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・一四) 水色の小鳥が一羽獄庭に紛れおりしがすいととび立つ

  • 1948(昭和23)年9月14日

     [[松本治一郎]][[公職追放問題]](「[[大和報国運動]]」本部の役員であったとして、[[法務庁]]特別審査局が調査)で、特審局が[[民政局]]([[GS]])に「追放する理由が無い」と回答する。 ...

  • 1966(昭和41)年9月13日

     [[「同和対策審議会」答申]] 完全実施を要求する国民運動展開に関する方針大綱に基づき、[[対政府交渉]]に入る。  

  • 1966(昭和41)年9月12日

     [[「同和対策審議会」答申]] 完全実施要求中央国民大集会が、東京で開かれる。  1966(昭和41)年1月28日  [[松本治一郎]]が、[[「同和対策審議会」答申]] 完全実施要求国民運動...

  • 1965(昭和40)年9月9日

    『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・九)より 『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・九) 時に強く戸を打つ雨に起きいでてふいに恋しくなり日し母を

  • 1965(昭和40)年9月8日

    『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・八)より 『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・八) 若き日の儚き恋の思い出に時折ふれて心うずくも

  • 1965(昭和40)年9月6日

    『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・六)より 『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・六) ひぐらしの声を淋しく独房に聴く身は死囚我れ悲しむ

  • 1937(昭和12)年9月6日

    1937(昭和12)年[[2月24日]]  松本治一郎が、[[衆議院]]で、[[軍事救護法]]改正について質問する。  「傭兵とは、生活を保障するとか、給料をやるとかいうことを条件として兵に...

  • 1965(昭和40)年9月2日

    『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・二)より 『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・二) 明星をひとつ残して東西の空に鳴く蝉声の悲しさ

  • 1965(昭和40)年9月1日

    『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・一)より 『石川一雄獄中歌集』(一九六五・九・一) 鉄格子顔すりよせて聴く蝉の声生れし街が思い出さるる

  • 1924(大正13)年8月15日

    [[奈良県水平社]]が、[[夏期講習会]]を開催する。  以後、各地で、講習会・[[水平学校]]等が開かれる。

  • 1924(大正13)年7月25日

     [[関東水平社]][[機関紙]]『[[自由]]』が[[創刊]]される。

  • 1924(大正13)年6月20日

     [[全国水平社]][[機関紙]]『[[水平新聞]]』が[[創刊]]される。

  • 1924(大正13)年6月10日

     [[九州水平社]][[機関紙]]『[[水平月報]]』が[[創刊]]される。

  • 1924(大正13)年5月29日

     [[岡山県]][[財田小学校]]の[[少年水平社]]が、[[差別]]に[[抗議]]して、[[同盟休校]]を行う。

  • 1933(昭和8)年5月25日

     [[1933(昭和8)年5月25日]]、[[香川県]]の[[高松市]]、[[高松地方裁判所]]で、[[部落民]]であることを[[結婚]]相手の「女性」に告げなかったことが、[[結婚詐欺]]・[[誘拐]]にあたり、[...

  • 1952(昭和27)年5月5日

     [[]和歌山]の[[西川県議差別事件]]で、県議が[[辞職]]する。

  • 1923(大正12)年5月1日

     [[福岡]]で、[[全九州水平社]]が[[創立]]する([[博多座]])。  [[松本治一郎]]([[未決拘留中]])が[[委員長]]に就任する。

  • 1937(昭和12)年4月30日

     [[松本治一郎]]が[[参院選]]に再選され、[[社大党]]に入党する。

  • 1924(大正13)年4月25日

     [[全国水平社]]本部が、第三回[[大会決議]]に基づき、[[米国排日移民法案]]に[[抗議]]する[[警告]]文を[[米大使]]に[[手交]]する。

  • 1922(大正11)年4月21日

     [[三重]][[水平社]][[創立大会]]が開催される。

  • 1922(大正11)年4月14日

    [[埼玉県]][[水平社]][[創立大会]]が開催される。

  • 1923(大正12)年4月11日

     [[水国闘争事件]]([[奈良県水平社]]VS[[国粋会]])に関連し、[[奈良県知事]]・[[警察部長]]が[[水平社解散]]を促す。

  • 1932(昭和6)年4月8日

     [[全水]][[田中支部]]の指導により、[[ピオニール]]([[養正少年団]])が生まれる。  [[機関紙]]「[[ヨウセイシンブン]]」が発行される。

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