みんなの投稿
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家紋入り鯉のぼり(100m級ジャンボ鯉のぼり)
ゴールデンウィーク中、家紋入りの鯉のぼりくを探してドライブしてたのが、昨年のゴールデンウィークでしたが、今年は娘夫婦が孫をつれて帰って来ましたので、家紋入り鯉のぼりを探すのはちょ...
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「二州酒楼に飲む」-山内容堂(山内豊信)が作った漢詩【龍馬伝・...
昨は橋南に飲み 今日は橋北に酔う 酒有り 飲むべし 吾酔うべし (中略) 快なる哉 痛飲放恣(ほうし)を極むと 誰れか言う 君子は徳行を極むと 世上解せず 酔人の意 還らんと欲すれ...
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第十一章 土佐沸騰_龍馬伝(作:福田靖 ノベライズ:青木邦子)...
弥太郎から届いた手紙を、妹のさきが繰り返し弥次郎に読み聞かせています。 「わしは長崎で仕事に励んじゅう。お殿様の名代として外国の商人とも会うて商いの話をしゆうがじゃ」 「今んとこ...
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山内容堂(山内豊信)の雅号「容堂」の由来【龍馬伝・坂本龍馬関係...
山内豊信(やまのうちとよしげ)の母は大工の娘だったとも伝えられるので、事実なら豊信自身にも庶民の血が流れています。 そのせいか酒が好きでした。 彼は多くの雅号を持っていました...
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第十章 加尾の覚悟_龍馬伝(作:福田靖 ノベライズ:青木邦子)...
安政4年(1857)。 岩崎弥太郎は、幡多(はた)郡奉行・後藤象二郎(ごとうしょうじろう)なる青年によって牢から引き出されました。 象二郎は叔父の使いで来たと説明しました。 そ...
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望月亀弥太・千屋虎之助・高松太郎、土佐藩庁より航海術修行を命じ...
☆☆☆ 文久3年(1863)1月7日(2月24日) 《解説》 望月亀弥太と千屋虎之助が航海術修行を志したのは、五十人組として東下したときに坂本龍馬から誘われたものであったと思われます。 ...
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望月亀弥太(もちづきかめやた)・千屋虎之助(ちやとらのすけ)・...
☆☆☆ 文久3年(1863)1月8日(2月25日) ●翌八日、坂本の紹介にて、三人は勝に入門せり。(『維新土佐勤王史』) ●九日、(中略)昨日、土州の者数輩、我門に入る。龍馬子と形勢の事...
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勝海舟、神戸海軍操練所の取締りを命じられ、それに先立ち私塾(坂...
☆☆☆ 文久3年(1863)4月27日(6月13日) 《解説》 神戸海軍操練所が正式に開設されるのは元治元年(1864)5月のことです。 それまでにはまだ1年もの間があるため、とりあえず勝海舟...
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高松太郎(たかまつたろう・川岡大次郎)・坂本直(さかもとなお)...
土佐藩を脱藩して叔父の坂本龍馬と行動をともにしました。 勝海舟の門下生となり神戸海軍操練所、長崎の亀山社中、海援隊で働きます。 ユニオン号、大極丸購入で活躍。 明治維...
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坂本龍馬、順動丸(じゅんどうまる)で大坂に到着する(勝海舟との...
☆☆☆ 文久3年(1863)4月9日(5月26日) ●十一日、(中略)龍馬、順動丸にて、一昨日大坂へ帰りし由。(『海舟日記』) 坂本龍馬関係目次 参考資料 ・坂本龍馬日記【菊地明、山...
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坂本龍馬の大いなる志の支援者。松平春嶽(まつだいらしゅんがく)...
嘉永6年(1853)6月、将軍・徳川家慶(とくがわいえよし)が亡くなり、10月に家定(いえさだ)が13代将軍職を継ぎました。 家定は虚弱な体質で、子供がなく、その継承は、早くから諸大名の...
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坂本龍馬が松平春嶽(まつだいらしゅんがく・慶永・よしなが)を訪...
坂本龍馬氏は土州藩臣にして、国事の為に日夜奔走して頗る尽力せしは衆庶の知る所なり。老生初て面会せしは文久二年七(八ヵ)月と存ずる。老生政事総裁職の命を受くるは六月也。或日(あるひ)...
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第六章 松陰はどこだ?_龍馬伝(作:福田靖 ノベライズ:青木邦...
千葉佐那が土佐藩中屋敷の門の前に立ち、うろうろしています。 ちょうど屋敷の中から出てきた侍がいます。溝淵広之丞(溝渕広之丞)です。 「あの・・・・・・私、千葉道場の佐那と申しま...
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第五章 黒船と剣_龍馬伝(作:福田靖 ノベライズ:青木邦子)あ...
嘉永6年(1853)6月。三浦半島の浦賀沖に4隻のペリー艦隊が巨大な姿を現しました。 その知らせは直ちに江戸城へ伝えられました。幕府の老中たちは浮き足立ちました。彼らは何ヶ月も前か...
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勝海舟(かつかいしゅう・武田鉄矢)・勝麟太郎(かつりんたろう)...
生没年月日 文政6年(1823)1月30日~明治32年(1899)1月19日 諱(実名) 初め義邦、安芳 通称 麟太郎・安房、安房守 ...
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坂本龍馬、松平春嶽に謁見し、勝海舟・横井小楠ヘの紹介状をもらう...
☆☆☆ 文久2年(1862)12月5日(1月24日) 《解説》 松平春嶽は越前福井藩の前藩主で、この年文久2年7月に幕府の政事総裁職に就任した幕閣有数の開明派です。 松平春嶽の維新後の記憶...
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神戸海軍操練所(こうべかいぐんそうれんじょ)【龍馬伝・坂本龍馬...
神戸に設けられた幕府の海軍教育機関で、勝海舟の建言を容れて文久3年(1863)4月24日に操練所の設立を命じ、勝海舟をその用掛に任じました。 操練所の年間経費は3000両とされ、勝海舟は神...
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第四章 江戸の鬼小町_龍馬伝(作:福田靖 ノベライズ:青木邦子...
嘉永6年(1853)4月、坂本龍馬と溝淵広之丞(溝渕広之丞)は、ついに江戸に到着しました。 「まずは、千葉道場にご挨拶に」 千葉道場は、千葉周作が開いた北辰一刀流の名門で、鏡新明智流...
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神戸海軍操練所について、坂本龍馬が姉・乙女に出した手紙【龍馬伝...
神戸海軍操練所設立にあたり、費用が少なすぎるため、勝海舟の命令で坂本龍馬が越前藩に援助の交渉に文久3年(1863)5月16日出発します。 その翌日付で坂本龍馬が姉の乙女にあてて出した...
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ジョン万次郎、アホウドリを生のまま食べて生きのびる【龍馬伝・坂...
カツオ漁船の遭難がなかったら、中浜万次郎は優秀な漁師として生涯を終っていたでしょう。 中浜万次郎の人生はまさに波瀾万丈。 維新回天の激動期に彼の新知識は重要な役割を果たしまし...
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坂本龍馬と千葉重太郎(ちばじゅうたろう)、勝海舟(かつかいしゅ...
☆☆☆ 文久2年(1862)12月9日(1月28日) ●九日(中略)此夜、有志、両三輩来訪。形勢の議論あり。(『海舟日記』) 《解説》 坂本龍馬の生涯で最も大きな転機となったのが、幕府の...
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中浜万次郎(なかはままんじろう・トータス松本)・ジョン万次郎(...
生没年月日 文政10年(1827)~明治31年(1898)11月12日 通称 万次郎、ジョン=マン(滞米中) 生まれ 土佐国幡多郡中浜...
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坂本龍馬が自分を殺しにきた、と勝海舟が語る(『読売新聞』の「春...
坂本は己を殺しに来た奴だがなかなか人物サ、(其時己は笑って受けてたが)沈着いて何となく冒しがたい、威権があって、能い男だったよ。(『読売新聞』の「春風閑話」) 坂本龍馬と千葉重太...
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坂本龍馬と勝海舟の出会い(『追賛一話』の記述)(勝海舟との出会...
坂本氏、曾て剣客千葉周太郎と伴ひ、余を氷川の僑居に訪へり。時に半夜、余、為に我邦海軍の興起せざる可らざる所以を談じ、娓々止まず。氏、大に会する所あるが如く、余に語て曰、今宵の事、窃...
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坂本龍馬、大坂で沢村惣之丞(さわむらそうのじょう)と再会。その...
☆☆☆ 文久2年(1862)6月11日(7月7日) 《解説》 脱藩後、薩摩入りをはかった坂本龍馬でしたが、薩摩では他藩人の入国を固く禁じていたため、断念せざるをえませんでした。 やむな...
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坂本龍馬、久坂玄瑞と再び会談する。文久2年(1862)1月17日(龍馬...
☆☆☆ 文久2年(1862)1月17日(2月15日) 晴、訪土人、薩人。是日、山根、吉松、大楽などの所へ参る(『江月斎日乗』) 《解説》 久坂玄瑞が初対面の坂本龍馬のことをどのように評価...
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坂本龍馬、久坂玄瑞(くさかげんずい)に会いに長州萩(はぎ)へ行...
☆☆☆ 文久2年(1862)1月14日(2月12日) ●十四日 翳、土州阪本龍馬、携武市書翰来訪。托松洞、夜前街の逆旅に宿せしむ。(『江月斎日乗』) 《解説》 坂本龍馬が武市半平太(武市...
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吉田東洋(よしだとうよう)暗殺される。武市半平太(たけちはんぺ...
☆☆☆ 文久2年(1862)4月8日(5月6日) 《解説》 大石団蔵は香美郡野市村の、安岡嘉助は同郡山北村の郷士です。 那須信吾とともに土佐藩参政・吉田東洋(元吉)暗殺の刺客に選ばれ、...
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岩崎喜勢(いわさききせ・マイコ)・岩崎喜勢子(いわさききせこ)【...
弘化2年(1845)~大正12年(1923)4月8日。 三菱財閥の創始者岩崎弥太郎の妻。 土佐藩の郷士・高芝源助の次女に生まれます。 明治7年(1874)、東京に移り、邸内に雛鳳館とい...
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坂本龍馬、土佐勤王党(とさきんのうとう)に血判加盟(けっぱんか...
☆☆☆ 文久元年(1861)9月下旬頃 《解説》 武市半平太(武市瑞山)が土佐藩内の尊攘志士を糾合するべく土佐勤王党を結成したのは文久元年(1861)の8月。 当時、武市半平太(武市瑞...
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桜田門外の変で大老・井伊直弼が暗殺されたのを聞いて、坂本龍馬、...
☆☆☆ 万延元年(1860)3月3日(3月24日) 井伊直弼、江戸桜田門外で暗殺される ●万延元年庚申三月三日、井伊直弼が上巳の登場を待ち受け、大老を一挙に斃したる、水戸十七士桜田の大襲撃...
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安岡嘉助(やすおかかすけ・花川仁教)【龍馬伝・坂本龍馬関係】
生没年月日 天保7年(1836)~元治元年(1864)2月16日 諱(実名) 正定 通称 嘉助 生まれ 土佐国...
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大石団蔵(おおいしだんぞう・高田将司)【龍馬伝・坂本龍馬関係】
生没年月日 天保4年(1833)~明治29年(1896)2月28日 諱(実名) 祐之 通称 団蔵、高見弥一郎(高見弥市) ...
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池田虎之進(いけだとらのしん・池田寅之助・いけだとらのすけ)、...
☆☆☆ 文久元年(1861)3月3日(4月12日) 《解説》 永福寺門前で実弟の中平忠次郎(池田忠次郎・いけだちゅうじろう)を山田広衛(やまだひろえ)に無礼討ちされた郷士・池田虎之進が、...
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岩崎弥太郎、長崎丸山の花街で芸者に金を使い込んで逃げ帰る。「よ...
安政5年(1858)、吉田東洋が土佐藩に復帰すると、岩崎弥太郎には「下横目」というポストが与えられました。 その後、「郷廻(ごうまわり)」の役についた岩崎弥太郎は、安政6年(1859)8...
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岡上樹庵(おかのうえじゅあん・温水洋一・ぬくみずよういち)岡上...
坂本龍馬の姉・坂本乙女の夫。 文政11年(1828)~明治4年(1871)7月3日。 新甫とも。 土佐国香美郡山北村・藤田泰善の次男で兄の篤治は地下医者でした。 天保10年(1839...
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日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく)【龍...
安政5年6月19日、大老・井伊直弼を首班とする幕府政権は、朝廷の勅許を得ないまま、アメリカの軍艦ポーハタン号の上で、アメリカとの修好通商条約と貿易章程に調印しました。 日本が欧米列強...
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三条実美(さんじょうさねとみ・池内万作)【龍馬伝・坂本龍馬関係...
正一位右大臣・三条実万(さんじょうさねつむ)の子。 父の遺志を継ぎ朝権回復、攘夷の遂行をもってその任としますが、文久3年(1863)の『八月十八日の政変』により失脚、同志の公卿6人...
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松平春嶽(まつだいらしゅんがく・夏八木勲)・松平慶永(まつだい...
生没年月日 文政11年(1828)9月2日~明治23年(1890)6月2日 諱(実名) 慶永(よしなが) 字 公寧 通...
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柴田備後(しばたびんご・北見敏之)・柴田勝守(しばたかつもり)...
生没年月日 不詳 諱(実名) 勝守 通称 備後 身分 土佐藩側用人・土佐藩家老 家...
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井伊直弼(いいなおすけ・松井範雄)【龍馬伝・坂本龍馬関係】
生没年月日 文化12年(1815)10月29日~万延元年(1860)3月3日 諱(実名) 直弼 通称 鉄三郎、掃部頭 ...
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佐々木男也(ささきおとや)【龍馬伝・坂本龍馬関係】
生没年月日 天保7年(1836)5月26日~明治26年(1893)11月25日 諱(実名) 一貫 通称 仙之助・男也、朔太郎(宇多) ...
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堀田正睦(ほったまさよし)【龍馬伝・坂本龍馬関係】
生没年月日 文化7年(1810)8月1日~元治元年(1864)4月5日 諱(実名) 正篤(まさひろ)・正睦 通称 左源次、相模守・...
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樺山三円・樺山三圓(かばやまさんえん・山崎画大)・樺山資之(か...
諱(実名) 資之 通称 三円瀬吉郎 生まれ 鹿児島城下 身分 薩摩藩士 著書 ...
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日本の伝統色を把握する動画
「柳染(やなぎぞめ)」「女郎花(おみなえし)」「高麗納戸(こうらいなんど)」「新橋色(しんばしいろ)」…名前だけだと一体どんな色なのか想像しがたい日本古来の伝統色を、視覚的に学べる...
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住谷寅之助・住谷寅之介(すみやとらのすけ・松原正隆)【龍馬伝・...
生没年月日 文政元年(1818)~慶応3年(1867)6月13日 諱(実名) 信順(のぶずみ) 通称 寅之助・寅之介 ...
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ハリス(タウンゼント・ハリス Townsent Harris)【龍馬伝・坂本龍...
日米和親条約締結後、さらに通商条約を結んで自由に貿易を行う環境を整えるために赴任。 幕府側との交渉で優れた外交手腕を発揮、調印せざるを得ない状況にまで追い込みました。 大老・...
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坂本龍馬2度目の江戸行き。江戸に到着し、築地の土佐藩中屋敷に入...
☆☆☆ 安政3年(1856)9月下旬頃 ●安政二年乙卯の九月、龍馬は再び父の膝下を離れて江戸に上りたるが・・・・・・(『維新土佐勤皇史』) ●安政二年九月、再び江戸に下り、築地藩邸に...
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武市半平太(武市瑞山)江戸へ行く(土佐藩庁からの出張命令)【龍...
☆☆☆ 安政3年(1856)7月 安政三年七月 先達而御内意被仰付置候通り、御臨時御用を以て北山通江戸表へ被差立、来月七日爰元出足、尤参着之上御用間を以て剣術修行方被仰付、依之為御補金...
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山本琢磨(やまもとたくま・沢辺数馬)の時計拾得事件(時計盗難・...
☆☆☆ 安政4年(1857)8月4日(9月21日) 《解説》 坂本龍馬、23歳。 1歳年少の親類である山本琢磨は、京橋浅蜊河岸に鏡新明智流の道場を構える桃井春蔵のもとで剣術修行に励んでいま...
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岩崎弥太郎、安藝奉行所の門扉に落書きをして牢屋に投獄され、そこ...
父・岩崎弥次郎と庄屋のトラブルで、庄屋と安藝奉行所の癒着を指摘するために、岩崎弥太郎は奉行所に落書きをしました。 その落書きとは 「官以賄賂成 獄因愛憎決」 意味は 「官は賄賂...
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岩崎弥太郎、父・弥次郎が庄屋に重傷を負わされたと知らせを受け、...
安政2年(1855)の正月、江戸昌平坂学問所の儒者・安積艮斎(あさかごんさい)の門人となった岩崎弥太郎ですが、間もなく土佐から父親の岩崎弥次郎がトラブルを起こしたと連絡がきたので帰郷...
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岩崎弥太郎の父・弥次郎、村の庄屋と喧嘩・トラブル。重傷を負う【...
村の庄屋は、農民たちと、田んぼに引く水のことで争いや、年貢米のことでいざこざがありました。 岩崎弥次郎は農民たちの側に立ち、庄屋には批判的でした。 ある日、「水争い」が解決し...
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『藤陰略話』河田小龍(かわだしょうりょう)の著書【龍馬伝・坂本...
『藤陰略話』は河田小龍が明治26年(1893)ごろに著した門人の近藤長次郎の略歴で、河田小龍直筆のものは現存していませんが、大正15年(1926)にまとめられた岩崎鏡川編『坂本龍馬関係文書』...
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坂本龍馬、河田小龍(かわだしょうりょう)のもと(家・茅廬)を訪...
☆☆☆ 安政元年(1854)11月頃 《解説》 河田小龍は高知城下浦戸町に住む絵師で、城下有数の知識人でした。 嘉永5年(1852)に土佐に帰国した中浜万次郎(ジョン万次郎)から漂流体験...
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坂本龍馬が河田小龍に聞いた(教わった)こと(土佐帰国)【龍馬伝...
●近頃異国人がつぎつぎ日本にやって来るので、国論が攘夷と開国とに分かれてやかましくなっている。 攘夷はむずかしいと思う。 そうかといって、開国がそのままいいというわけではない。...
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坂本龍馬、武者修行の期間を終えて江戸から土佐へ帰国(土佐帰国)...
☆☆☆ 安政元年(1854)6月23日(7月17日) ●六月廿四日 一、、御預郷士坂本権平弟龍馬儀、武芸為修行去三月より今六月迄御暇を以江戸表江罷越居候処、昨夜致帰着候旨届出候事。(『福岡...
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平井加尾(ひらいかお)、山内容堂の妹・友姫(ともひめ)に仕えて...
坂本龍馬から平井加尾宛ての謎めいた一通の手紙があります。 坂本龍馬から平井加尾(ひらいかほ)宛ての手紙 あて名の平井加尾は土佐勤王党の平井収二郎(ひらいしゅうじろう)の妹で...
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「逃げの小五郎」桂小五郎・木戸孝允のあだ名(木戸孝允・桂小五郎...
文久2年(1862)、長州の藩論は公武合体から尊皇攘夷に大転換しました。 しかし、これは時代の流れに逆行した判断でした。 『和宮降嫁』や『寺田屋事件』によって公武合体派は確実に力...
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孝明天皇(こうめいてんのう・阿部翔平)【龍馬伝・坂本龍馬関係】
生没年月日 天保2年(1831)6月14日~慶応2年(1866)12月25日 諱(実名) 統仁(おさひと) 通称 幼称煕宮(ひろのみや...
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桂小五郎(木戸孝允)の生まれ・少年時代。凡庸な少年(木戸孝允・...
天保4年(1833)6月26日、萩城下にある呉服町に20石取りの藩医・和田昌景の次男として生まれ、天保11年(1840)8歳で桂九郎兵衛の養子となって桂家を相続しました。この後、しばらくは桂小五...
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金子重之輔・金子重輔(かねこしげのすけ・尾関伸嗣)【龍馬伝・坂...
生没年月日 天保2年(1831)2月13日~安政2年(1855)1月11日 諱(実名) 貞吉 通称 卯之助・直三郎・重之輔(重輔) ...
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なしくずしにアメリカとの日米和親条約に調印(ペリー提督・黒船艦...
アメリカの開国要求に対し、老中首座・阿部正弘は諸大名から庶民にまで広く意見を求めたが、そのなかに妥当な策は見つかりませんでした。 これは幕府の無能ぶりをさらけ出すいっぽうで、意...
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幕府を圧倒する米艦隊来航(ペリー提督・黒船艦隊来航)【龍馬伝・...
嘉永6年(1853)6月3日、オランダ商館の情報どおり、ペリー率いる4艦の黒船が浦賀に来航。 6月6日には江戸の近海まで進んで開港を要求します。 この艦隊は臨戦態勢を整えており、明ら...
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ペリー提督・黒船艦隊来航と坂本龍馬。年表【天地人・直江兼続関係...
1.黒船来航を知っていた幕府:嘉永5年(1852)2月 2.黒船来航のころの幕府首脳陣とその派閥:嘉永6年(1853) 3.ペリー提督・黒船艦隊来航:嘉永6年(1853)6月3日 4.坂本龍馬、黒船来...
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日米和親条約(にちべいわしんじょうやく)・神奈川条約(かながわ...
日米和親条約 一、下田、箱館(函館)両港への米国船寄港 ニ、両港における遊歩区域の設定 三、薪水、食料等の供給 四、米国船の必要品購入許可 五、外交官の下田駐在許可 六、最恵国待遇...
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土佐勤王党(とさきんのうとう)とは?武市半平太(武市瑞山)【龍...
武市半平太(武市瑞山)によって結成された組織。 坂本龍馬も土佐では1番最初に加盟しています。 公武合体の土佐藩藩論を一藩勤王に変換させることを主眼におきました。 文久元...
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ペリー提督・黒船艦隊来航後に坂本龍馬が父・坂本八平に出した手紙...
☆☆☆ 嘉永6年(1853)9月23日(10月25日)付 《解説》 ペリー提督・黒船艦隊の来航に対して、6月6日、幕府は江戸湾の沿岸に藩邸を持つ諸藩に動員を命じました。 土佐藩もその1つで、...
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桂小五郎(木戸孝允)吉田松陰と出会い才能を開花(木戸孝允・桂小...
桂小五郎(木戸孝允)の才能開花のきっかけは吉田松陰でした。 藩校・明倫館で吉田松陰の講義を受けた彼は、その才能を大きく開花させたのです。 嘉永5年(1852)11月、江戸に遊学し...
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吉田松陰、佐久間象山の勧めでペリー艦隊黒船に密航、失敗して自首...
佐久間象山に欧米の知識を吸収するための海外渡航を勧められ、また、祖国の危機を救うという動機から、吉田松陰は安政元年(1854)3月、弟子の金子重之輔(重輔・かねこしげのすけ)とともに...
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日根野弁治(ひねのべんじ・若松武史)【龍馬伝・坂本龍馬関係】
文化12年(1815)~慶応3年(1867)8月23日。 吉善。 土佐国出身。 土佐藩士?。 郷士・市川友次郎の次男に生まれるが、小栗流剣術宗家の日根野左右馬の養子となりました。 ...
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黒船来航を知っていた幕府。オランダ商館からの「別段風説書」(ペ...
嘉永5年(1852)2月、幕府は長崎のオランダ商館から送られた「別段風説書」によって驚くべき情報を得ました。アメリカが軍艦4隻の艦隊を日本に派遣し、開国を要求しようとしているというので...
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桂小五郎(かつらこごろう・谷原章介)・木戸孝允(きどたかよし・...
長州の藩校・明倫館で吉田松陰の講義を受け、才能を開花。その後諸国をめぐって、西洋兵学・砲術・蘭学を修めました。 剣の達人でもあったが、刀を抜いて争うことはほとんどなく、その慎重...
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岩崎弥太郎、神田(こうだ・鴨田村)に寺子屋(和漢私塾)を開く【...
父・岩崎弥次郎と庄屋のトラブルが発端で牢屋にぶち込まれてしまった岩崎弥太郎。 年が替わると釈放されました。しかし、 「村を騒がせた罪は重い。追放とする」 という宣告を受けて、井...
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木戸孝允・桂小五郎、吉田松陰の過激な行動を抑え止めようとする。...
安政3年(1856)、世間では違勅問題と将軍継嗣問題が論じられ、時代は大きく揺れはじめました。 萩に幽閉されていた吉田松陰は門徒に暗殺を指令するなど、過激な行動を取るようになりま...
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坂本龍馬をひたすら待った婚約者・千葉佐那(江戸の鬼小町)【龍馬...
千葉佐那の父は、北辰一刀流の名手として名高い千葉周作(ちばしゅうさく)の弟・千葉定吉(ちばさだきち)です。 千葉定吉もまた千葉周作に劣らぬ遣い手で、神田お玉ヶ池(おたまがいけ)...
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ペリー提督(マシュー・カルブレイス・ペリー Matthew Calbraith P...
1794年~1858年。 アメリカ東インド艦隊司令官。 周到な準備の上、琉球を経て嘉永6年(1853)、4隻の艦隊を率い浦賀に来航。 大統領フィルモアの親書を提出。 翌年の回答を約...
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坂本龍馬、父・坂本八平に江戸行きをお願いし、家老福岡宮内に江戸...
☆☆☆ 嘉永6年(1853)3月4日(4月11日) ●三月四日 一、御預郷士坂本権平弟龍馬儀、此度武芸為修行、自力を以江戸表江為罷越度願書差出、取次方江所左衛門及持参、郷士牒ニ詳也。(『福岡...
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岩崎弥太郎(いわさきやたろう)江戸に遊学する【龍馬伝・坂本龍馬...
安政元年(1854)岩崎弥太郎21歳のときのことです。 ちなみに、このとき坂本龍馬は20歳でした。 岩崎弥太郎は母方の祖父で町医者の小野慶蔵に学費を出してもらい、土佐藩の陽明学者奥...
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坂本龍馬、江戸の土佐藩屋敷に到着。千葉定吉の道場に入門し、北辰...
☆☆☆ 嘉永6年(1853)4月中旬頃 《解説》 坂本龍馬が江戸に着いたのがいつのことか、正確にはわかっていません。土佐を出立したのが予定通り3月17日だったとすると、江戸までの所用日数...
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『修行中心得大意(しゅぎょうちゅうこころえたいい)』坂本龍馬が...
☆☆☆ 嘉永6年(1853)3月 一、片時も不忘忠孝、修行第一之事。 一、諸道具に心移り、銀銭不費事。 一、色情ニうつり、国家之大事を忘れ、心得違有間じき事。 右三ヶ条胸中ニ染メ修行...
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坂本龍馬、江戸への剣術修行のため土佐を出発するにあたり、国境の...
☆☆☆ 嘉永6年(1853)3月16日(4月23日) 一、御預郷士坂本権平弟坂本龍馬、武芸為修行江戸表江差遣度願相済、明十七日出足ニ付、立川口御番所出切手并改書両通共差出、今日夫夫出来ニ相成、...
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火付け盗賊改ー長谷川平蔵って実在の人物だったのです...
今日は、特別見たいテレビ番組がないために、何となく「鬼兵犯科帳」を見ていました。(笑) 鬼の平蔵に中村吉右衛門 その妻に多岐川裕美 高橋悦史 尾美としのり 真田健一郎 梶 芽衣...