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新生銀行って、一体どんな銀行!?誕生まで

真性銀行という名前は、最近のテレビCMなどでもよく耳にすることでしょう。この銀行は、もとは、長銀(正式には長期信用銀行という名称)という金融機関が前身の銀行でした。 日本長期信用銀行として 本社外観1952年(昭和27年)に、日本長期信用銀行として設立された。英名を略しLTCB(Long-Term Credit Bank of Japanの略)とも呼ばれた。吉田茂内閣が打ち出した「金融機関の長短分離」政策(短期金融は普通銀行、長期金融は長期信用銀行と信託銀行に担当させる)に沿ってのもので、設立に当たっては、かつての特殊銀行で、長期信用銀行への転換を選ばなかった日本勧業銀行と北海道拓殖銀行の協力を得ている。また、吉田茂・池田勇人と連なる自民党宏池会との関係が深かった。 割引金融債「ワリチョー」や、利付金融債「リッチョー」、「リッチョーワイド」といった長期信用債券を携え、 長銀 (ちょうぎん)の愛称で親しまれた。高度経済成長期には産業金融の分野で一定の役割を果たしたが、重厚長大産業の資金調達が間接金融から直接金融へシフトするにつれ、存立基盤が危うくなる。こうした中、1971年から1989年まで頭取・会長を務めた杉浦敏介の下、不動産・リース等、新興企業へ積極的な融資を推進したが、バブル崩壊後に多額の不良債権を抱え込む結果となった。中でも、イ・アイ・イ・インターナショナルに対する債権3,800億円が焦げ付いたことは致命傷となり、1990年代後期より経営不安がささやかれる様になる。1998年、スイス銀行(現UBS)と提携し活路を見出そうとするが、結局、証券子会社を乗っ取られ逆に市場で長銀株を空売りされるなど、局面を打開するには至らなかった。同年6月に月刊「現代」に、経営危機に関するスクープ報道がなされると、株価は急落、以後、経営は迷走を続け長銀は当事者能力を失い、政府主導で他行による救済合併が検討された。救済相手が連日のように”日債銀””第一勧銀”と報じられる中、最終的には、当時大手行の中で優良な財務体質であった住友信託銀行との合併が発表された。しかし、発表後に住信の格付けの格下げ、株価の下落などで住信内に合併慎重派が台頭し、また長銀の不良債権の規模から救済を躊躇し、小渕恵三首相まで住信社長の説得に乗り出すが、最終的に破談した。この破談後、最後に国による直接救済策が検討され1998年10月、金融国会にて金融再生法他が成立。長銀は直ちに破綻認定され、日本政府により一時国有化された。 その後の資産査定の結果、債務超過であることが判明。その後、売却にあたり、中央三井信託銀行グループ他との競争入札の末、2000年3月にアメリカの企業再生ファンド・リップルウッドや外国銀行らから成る投資組合「ニューLTCBパートナーズ」(New LTCB Partners CV)に売却され、同年6月に「新生銀行」に改称した。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 まだ、数年前のことですが、当時はどこの銀行と合併するかなど、連日方報道されていたり、当時の一大ニュースとして、大きな注目を集めていました。 上の印尿記事にあるように、総理大臣も合併に対して乗り込んでくるなど、日本の金融界の一大事件の一つだったといえるでしょう。 この後に、名称を変更して、現在の「新生銀行」という名前になるのですが、文字通り新生した銀行になったといえます。 この後、別の記事では新生銀行になってからの経緯について考えていきたいと思います。

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