-
-
-
-
- 【戦闘機】『零戦 32・22型』これ零戦なの?評価の別れる三二・二二型
- トイレで読む向けブログ
-
(零戦32型 画像はwikipediaより転載)
要約
零式艦上戦闘機32型、22型とは全幅11m、最大速度545km/h、航続距離2,134km+全速30分、20mm機関砲2門、7.7mm機銃2挺を装備する。零戦21型をベースに本庄季郎技師が設計した機体でエンジンを栄21型1,130馬力に換装、翼端を50cm切落している。最高速度は上がったものの旋回性能は低下、エンジンの大型化に伴い燃料タンクを減らしたため航続距離も短くなってしまった。そこでエンジンは栄21型のまま翼長を元に戻し、燃料搭載量を増やしたのが22型である。武装は20mm機銃と7.7mm機銃であるが20mm機銃の装弾数は100発に増加している。
零式艦上戦闘機
零式艦上戦闘機とは1937年に開発開始、1940年に制式採用された日本海軍の艦上戦闘機である。日中戦争で実戦に投入されたがあまりに高性能であったために後継機の開発が遅れ、結局、太平洋戦争末期まで使用されることになってしまった。防弾装備や強度に問題もあったが、傑作機であることには間違いない。総生産数は10,000機以上であるため、多くのバリエーションがある。
零戦32型
性能
全幅 11.00m
全長 11.00m
全高 3.57m
自重 1,806kg
最大速度 545km/h(高度6,000m)
上昇力 6,000mまで7分19秒
上昇限度 11,050m
エンジン出力 1,130馬力(栄21型エンジン)
航続距離 全速30分+2,134km(増槽装備時)
乗員 1名
武装 20mm機関砲2門(携行弾数各100発)、7.7mm機銃2挺(携行弾数各700発)
爆装 60kg爆弾2発
初飛行 1941年7月14日
総生産数 343機
設計・開発 本庄季郎 / 三菱重工業
栄21型エンジンを使ってみる
1941年、零戦に搭載されている栄12型エンジンのパワーアップ版である栄21型エンジンが開発された。この栄21型エンジンは栄12型エンジンが940馬力だったのに対して1,130馬力と大幅に馬力がアップ、さらに二速過給器を装備したエンジンであった。1941年6月、この栄21型エンジンの完成を受け、このエンジンを搭載する零戦、A6M3の設計が開始されることになった。しかし大変残念なことに、この設計をする頃にはちょうど堀越技師は病気になってしまったため、この零戦32型は一式陸上攻撃機の設計でお馴染みの本庄季郎技師が設計することとなった。
栄12型に対して栄21型は外径こそ変わらなかったものの、全長が約16cm、重量が60kg増加したために機体の重量バランスを変更することが必要となった。このため防火壁を185mm後退、胴体も零戦21型よりも短く設計し直されたが、エンジンの全長が長くなり、胴体が短くなったので結局、機体の全長は21型と変わらなくなっている。見た目は同じでもエンジンの交換は意外と大変なのだ。
21型との外見上の最大の違いは翼端で21型の両翼端をそれぞれ50cmずつ切落している。のちに登場する52型のように丸く綺麗に整形することもなく、ぶった切ったような角形になっている。素人からすると「50cmくらいなんじゃーい!」と思うかもしれないが、零戦はねじり下げ翼という主翼の角度が翼端に行くほど少しずつ変化していくという微妙な構造になっているので、空気の流れ等が変わってしまい大変なのだ。
しかしそこは名設計者本庄技師!うまく修正した結果、旋回性能は下がったものの、横の操縦性が改善、速度が若干向上する上に補助翼の利きも良くなり急降下制限速度も40km/h近く増大、おまけに生産性まで向上するといういいこと尽くめの結果が出た。しかし病気から戻った零戦の生みの親堀越技師。やっと病気が治ったと思ったら、目の前にあるのは翼端をぶった切られて変わり果てた零戦。。。かなりムカついたようだ(本庄P,63)。
燃料入れる場所が減っちゃった(*´∀`*)エヘ!
(零戦32型 画像はwikipediaより転載)
この設計変更をしたため、胴体燃料タンクの収納スペースが減少、そもそも21型では145L入る胴体燃料タンクが32型では何と60Lに減ってしまった。代わりに翼内燃料タンクの容量を190から210Lに増やしたものの、合計搭載量は21型525Lに対して32型は480Lと45Lも少なくなってしまった。
武装は、九七式7.7mm機銃2丁、九九式1号銃2型2丁で装弾数は各100発で、大型のドラム弾倉を使用するため翼から少し弾倉が出てしまっている。エンジンがパワーアップしたため最高速度は21型の533km/hに対して544km/hと11km/h向上したものの航続距離は、21型の全力30分+2,530kmに対して、32型は全力30分+2134kmに減少してしまった。このため生産中に設計変更を行い後期型からは翼内燃料タンクを210Lから220Lに変更している。この翼内燃料タンクが増量された32型は後期生産型152機で、試作機含め191機は210L燃料タンクモデルである。
開発計画開始からわずか1ヶ月後の1941年7月14日には初飛行、零式二号艦上戦闘機として制式採用された。生産したのは三菱のみで、1942年6月から始まり、12月まで生産が続けられた。総生産数は試作機3機と量産機340機の合計343機である。
戦歴
戦列に加わったのは1942年6月以降で基地航空隊に配備された。新機材が母艦戦闘機隊ではなく基地戦闘機隊に配備された経緯であるが、母艦航空隊には信頼性の高い21型が優先して配備されることとなり新型機の32型が基地航空隊に配備されたというのが理由のようだ(古峰P,38)。32型が初めて配備されたのは7月でラバウルに展開する台南空が最初だったが(松崎P,50)、8月7日には米軍によるガダルカナル上陸があり、以降、台南空はガダルカナル島への長距離攻撃を行わなければならない事態となった。
前述のように32型は21型に比べ航続距離が減少しているためラバウルから片道1,000kmを飛行するには不安があり、同時に栄21型エンジンの信頼性が担保されていなかったこともあり長距離進攻へは投入されなかったようだ。この32型、当初米軍は零戦とは別の機体と認識していたようで零戦のコードネームZEKEに対してHAMPという別のコードネームが与えられている。
この32型は21型に比べ上昇力が向上したものの旋回性能は低下していた。安定性も低下していたようであり操練44期出身の熟練搭乗員である斎藤三朗氏によると32型(手記では22型となっている)は安定性の低下による事故があったという(斎藤P,30)。ただ全く嫌われていたのかというと海兵69期出身の梅村武士氏のように一番好きだったという評価もある(梅村P,86)。ので全くの失敗作という訳でもなさそうだ。
零戦22型
やっぱ翼戻すし燃料タンクも増設したれー!
(零戦22型 画像はwikipediaより転載)
性能
全幅 12.00m
全長 9.12m
全高 3.57m
自重 1,863kg
最大速度 541km/h(高度6,000m)
上昇力 6,000mまで7分19秒
上昇限度 10,700m
エンジン出力 1,130馬力(栄21型エンジン)
航続距離 全速30分+2,560km(増槽装備時)
乗員 1名
武装 20mm機関砲2門(携行弾数各100発)、7.7mm機銃2挺(携行弾数各700発)
爆装 60kg爆弾2発
初飛行 - 年 - 月 - 日
総生産数 560機
設計・開発 三菱重工業
実戦配備された32型の最大の問題は航続距離が短くなってしまったということだった。初の運用が基地航空隊でガ島攻撃が必至の状況であったことにより、32型の航続距離の短さは問題視されるようになった。このため21型の生産を継続すると同時に32型への燃料タンクの増設による航続距離の延長も行われた。燃料タンクは主翼外翼内に42L燃料タンクを増設、これによる翼面荷重の増大を補うために翼幅を再び50cm延長して21型と同様の12mとした。
これによって燃料搭載量は580Lとこれまでの零戦中最大となり、航続距離も全力30分+2,560kmと21型も超えるものとなった。この改良型が22型であるが、22型は32型の応急改造型であったために略符号はどちらもA6M3である。
速度は32型の544km/hに比べ541km/hと若干低下したものの、21型よりも8km/hほど速く、航続距離もこれまでの零戦中最長、旋回性能も良いことから32型の不評は解消したようである。操縦練習生28期のベテラン搭乗員であった羽切松雄元中尉に至ってはこの22型が一番好きであったとまで言っている(神立P,78)。
この22型は1942年秋に一号機が完成、1943年1月29日に制式採用された。生産は制式採用に先立った1942年12月に開始されており、1943年7月まで行われた。この22型は、1943年5月、再編成のために日本本土に帰還した台南空(251空)がラバウルに再進出する際に装備していたそうだ(大島P,463)。32型の航続距離延長を目的に改良された22型であったが、この頃になるとガ島進攻作戦はブイン、バラレなど中間基地が稼働していたためそれほど必要性はなくなっていた。総生産数は32型を超える560機であった。
武装強化型
この零戦32・22型が開発、生産されているちょうどその時期、零戦試作機から搭載されていた20mm機銃の改良型九九式2号機銃が制式採用された。この2号銃は1号銃の銃身を延長して初速と命中精度を高めたもので二号銃三型は、1942年7月22日に制式採用されている。この二号銃三型を搭載した22型は22型甲と呼称されている。さらに少数ではあるが、32型にも同機銃を装備した機体もあり、こちらは32型甲と呼称されていたという。
〇〇型という呼称
零戦22型 画像はwikipediaより転載
今回の記事を読んでいて不思議に思った方はいないだろうか。零戦21型の次のモデルの名称が32型、その次が22型と、つまり「順番逆じゃね?」ということだ。どうしてこの順番通りに行かない変な名称になってしまうのか簡単に説明してみよう。
零戦に限らず、海軍の航空機には全て零戦11型、21型、32型、22型というように二桁の番号で機体のバージョンを表している。ご存知の方も多いかもしれないが、この規則についてちょっと書いてみたい。この二桁の番号は機体とエンジンのバージョンを表し、下一桁がエンジン、二桁が機体のバージョンを表している。例えば、新型機ができると機体もエンジンも初期モデルなのでどちらも「1」なので11型となる。
そして数年後、例えば零戦11型の翼端を50cm折り畳めるようにしたとする。すると機体はバージョンが変わったので二桁目は「2」となる。しかし、エンジンは変更されていないので下一桁は1のまま、つまり21型となるのだ。そしてこの21型の機体もエンジンも変更した32型では機体は「2」から「3」へ変更、それまで「1」だったエンジンも「2」に変更され32型となったのだ。
そしてその32型も作ってはみたものの翼の形状はやはり元のままが良いということで翼の形状を戻したため32型の改良型が22型となってしまった。このような流れで11型→21型→32型→22型という順番になってしまったのだ。
22型って翼内タンク増設されてね?
(上が九九式1号機銃 下が2号機銃 画像はwikipediaより転載)
しかしこの変更、厳密には外見上は同じでも21型にはなかった翼内燃料タンクを増設しているので完全に以前の型に戻った訳ではない。32型の機体をさらに変更して燃料タンクを増設、翼の形状も変更しているので、本来なら42型と言ってもいいかもしれない。どうして22型となったのかの理由は不明であるが、
「42は「死に番」だし、外見上は21型と同じだし、まあ、いいんじゃね?」
というくらいのものだったのだろうか。
それと武装によってもまた名称が変わる。武装が初期から変更されると、今度は名称の最後に「甲乙丙丁・・・」という十干が付くようになる。今回の記事だと、22型の機銃が九九式1号銃2型から九九式2号銃3型に変更された機体は22型甲となるのだ。これを知っていて社会で役に立つことは一切無いが覚えておく必要がある。
参考文献
秋本実『日本軍用機航空戦全史05』
大島基邦「”ラバウル整備隊”徹宵日誌」伝承零戦2
梅村武士「わが愛しき駿馬”三二型”防空戦交友録」『「空の少年兵」最後の雷撃隊』
神立尚紀『ゼロファイター列伝』
斎藤三朗「瑞鶴戦闘機隊」『艦隊航空隊Ⅱ激闘編』
本庄季郎「中攻・零戦と零観」『海鷲の航跡』
古峰文三「海軍戦闘機のMVP「零戦五二型」正伝『丸』2024年10月号
松崎敏彦「私が開発した「栄」エンジンの秘密」伝承零戦2
⇒航空機一覧へ戻る
amazonで零戦 32型 22型を探す
楽天で零戦 32型 22型を探す
タミヤ|TAMIYA 1/48 零戦32型
SWEET|スウィート 1/144 飛行機シリーズ 零戦32型(ソロモン航空戦)
プラモデル 1/32 大戦機 零戦21型
↓良かったらクリックして下さい。
ミリタリーランキング
- 投稿日時:2025/05/11 07:00
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-